喜怒哀楽を素直に表現!心の歌ゆとりの5.7.5
 
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5月18日にドンキーさんとSさんの川柳を追加。Hさんとの相続川柳も入れてみました。

2020.5.16  昔の職場仲間と川柳交換

 コロナ禍の中で、自宅にいる時間が増え、ライン交流で面白い川柳が飛び交った。その一部を紹介してみよう!

 最近のやりとりでは、「わんわん」さんとのやりとりから。まずは短歌調で
  ・・・・「さくら・検察 コロナ隠しで後継も 日光の手前で 今ひとつ」(日光の手前にイマイチという駅があるそうです。)・・と啓さんから書き込みがあり、私も関連で以下の通り。
 
  「安倍さんも 森友・さくらに 検察と 目先を変えて コロナ対策!」  
 
 以下、川柳部門です。
 古代より ニンニク、スッポン 良くきかず(わんわん)

 パイ握る 厳しい目つきで 癒しの絵・・・・これはジローさんの鉛筆画に感動して・・・・投稿
 マージャンの パイ握る手で  天才画

 古来希れ、稀なる病と向かい合い❗・・・・これは私の今の感想です。毎月一回の点滴で通院中です。
 わんわんさんからのお返し川柳 ・・・多彩なる年輪かさね赤帽し

 難病も ビール酵母で、医者わすれ。(わんわん)
 
 ドンキーからも招待川柳 ・・・・「お待ちかね スーツが似合う 越川さん‼」

 年をとると、・・・・・・目が老眼 手元も狂い ミスタッチ
             ブラインド タッチのつもりが 誤字脱字
 
 ライングループを作って仲間に呼びかけてきましたが、皆さんなかなかなれない作業に苦労されています。
 
 初めての ラインで顔だし なるみ会 
 エリートも ラインデビューに 四苦八苦啓さんの

 えっちゃんが高評価の川柳・・・・・野良猫や飼い猫巡り食いつなぎ😺
 
 わんわんさんの追加川柳
   愛犬が早く帰ってこいと尻尾ふる
   点滴やラインで凌ぎ病越へ
   熊大の野菜スープで免疫アップ
   ゲンゲ草蜂ひと結び甘い贈り物

ドンキーさんの病院からの川柳です。  「気分よし 血圧図る その瞳 」 これのお返しに 「お馴染みの 看護師さんとも 2メートル」

Sさんから・・・・ 「売り手よし 買い手またよし 世間よし」  朝のトレーディングが終わって上機嫌です。
お返しには・・・・・・「上機嫌 株は異なもの 味なもの」    今日は良し 明日はどうなる コロナ株

相続川柳・・・・・・・・・終活は 神頼みならぬ 自己責任    親子リレー 空家対策 遺言書
             相続や遺言 親子で 話し合い      アルバムを 整理しながら 終活に!  終活は 終のデザイン 奥深し
             コロナ禍で ワイも遺言 書いとこか!



2020.4.26 コロナでこれからの社会やシステム、生き方が変わる!?

  毎日、コロナの感染予防のためにステイホームの日々である。熊本も40人を超える感染者がでている。本当にいつ穏やかな日が来るのかと不安が募るが、持久戦となる予想である。緊急事態宣言も5月6日までではあるが、延長されるものと思う。多くのイベントが中止や延期となっている。
 これは人類とウイルスの戦いである。今こそ人類は知恵を絞り結束してこの緊急事態を回避していかなければならない。歴史的にも過去に多くの感染症と戦ってきた。
 
 100年前のスペイン風邪が世界中に流行して多くの人がなくなったことが今日の新聞に掲載されていた。衛生環境も医学的な技術も現在とは雲泥の差で被害も大きかったようであるが、最近の感染症のインフルエンザやエボラ出血熱の比ではない。
 経済的にも大きな打撃をうけて、リーマンショックを上回るという。

 この感染症を契機に、社会全体の仕組みや生き方なども見直しがあるだろう。働き方も大きく変わってくるように思われる。

   リフレッシュ 時代が変える 生き方も
   感染症 政治の決断 追いつかず
   経済を 気にして対策 ちぐはぐに

 


2017.9.16 地域起こしは人起(興)こし?

  士業の仕事の延長に地域の活性化というテーマも見えてきた。みなそれぞれの想いで自分の地元を何とか元気にしたいと考えている。昔も今も同じである。ただし、それがそんな結果に結びつくか、地域に活力を与えることができるか?ということはやってみないとわからないかもしれないが、シュミレーションは必要だろう。できたら事業として誰かがやってくれたら良いのにと思う事があるが、自分でやるにはリスクがある。今ひとつ自分の中で自信につながるものがない。
 人はよく評論するが、行動はしないというのが私の持論だが、誰もが先は見えない。リスクを冒したくないという思うがあるだろう。時代を読む。風を読む力量が求められるのも事実だが、何かを変えたいという人が地域に育つことが必要だ。まちおこしで成功したところは地元の人々が真剣に考え行動を起こした結果が成果を上げている。
 また、タイミングも大事だろうと思っている。そのときどきのニーズや機運もあるだろう。勢いを掴むことも大事な能力である。まだまだ多くを学ぶ必要があるが、時間はあまりない。いまやれることは何かを考える。

 世を変える 知恵と力が いま欲しい   
 誰かやる? 誰もいないよ 見てるだけ   

 


2017.8.20 まち起こしのエネルギーおばさんがいた!

 秋に行う人吉での公開講座の準備で会場の下見に行ってきたが、思わぬ出会いがあった。副会長が8人乗りのレクサスLX-570秘密兵器出してくれた。普通の車の3倍の値段がするだろうと言われる超高級車。なんとほぼ自動運転となっているというからすごい。高速道路で車間距離が縮まると自動ブレーキがかかり運転手はブレーキを踏んでいない。走行ラインが少しぶれると自動制御で修正してくれる。この車との出会いも記憶に残る出来事だったが、まちづくりの元気おばさんに出会うことができたのは不思議な運命かも。

 広報担当が総勢7人で高級感を堪能して約1時間で人吉に到着。会場を見る前に球磨川のほとりで、副会長が予約してくれていた「ひまわり亭」へ直行した。鮎の塩焼きがついて豪華なランチとなった。そこは県庁や地元の人吉市と連携して地道にまちおこし事業をやってきたチームをリードする元気おばさんが経営する古民家レストランで案内した副会長の昔からの知り合いだという。細川県知事の頃から活動しているとのことで、私の友人の県庁のMさんも知っているとのことだった。

 まちづくりのネックとなる諸問題・・・空家、耕作放棄地、所有者不明、解体工事、土地の取得、固定資産税等の問題を解決するために士業連盟を有効活用して組織化しているという。思いつきの点で活動するのではなく、私が常々指摘する点から面での展開を既にやっているようで話を聞いても説得力がある。胸に使えていたものが取れて「これだ!」と思った。私たちの仕事の究極はこれだなと感じた。

 更に聞くと鹿児島では志士の会と称して司法書士、税理士、弁護士、行政書士、社労士などが連携して地域や行政と交渉し定期的な打ち合わせをして効果的なまちづくりをしているという。感動ものであった。その余韻も冷めやらぬままに、公開講座の会場のある社会福祉協議会の会議室を見て帰路についた。お腹も満たされ、心の空白も元気な行動するおばさんの話で埋まった思いだった。新たな夢がまた動き出した。私の妄想の世界が始まった。

まちづくり 所変われど 人力(ひとじから)
実践が 自身を作る 人つくる
遠き夢 目の前にいる 人の夢



2017.7.9  生涯学習で古典文学を学ぶ・・・

 くまもと生涯学習インストラクターの会がなかなか素晴らしいボランティア活動を続けている。特に私の後任の事務局長が裁判所を退職して会を盛り上げ、女性ならでのきめ細かい運営を行って会員も増やしてきた。生花や短歌、絵手紙、健康教室などでスタートしていた会があるインストラクターの加入で古典文学の講座を始め、教員時代の想いを「源氏物語の誘い」として新たに計画した講座が思った以上の人気で20人ぐらいの集まりが40人へと倍増した。
 なんといっても、講師役のM先生の講義がウイットに富んで、光源氏を取り巻くいろんな出来事を面白おかしく解説するのとても良い。95%が女性の参加者であるが、女性は年を重ねても高校時代の教科書の世界をどこかで追い求めているのだろうか・・・とても活気があるのが不思議である。

 インストラクターの資格をもっている人もいて、なかなかコミと連携の良いボランティアチームでスタッフも10名を超えた。今年は参加者の希望も聞いて、源氏物語の裏話から「大鏡」「雨月物語」「枕草子」と広がりを見せているが、特に清少納言と紫式部の人柄に触れて作品を見つめ直すととてもおもしろい。参加する女性たちは口コミで増えて会場も満杯の様相で、また次回をと2ヶ月後の開催日に予約していく人もいる。

        学ぶほど 式部の世界の 奥深さ
        いつの世も 恋が織り成す 人模様
        ときめいて 時を忘れて 年忘れ




2017.6.24  心落ち着く時間・・・

 今月は慌ただしい出来事の連続であったが、また多くの学びの月でもあった。実務的に勉強をする機会も多かったが、世の中の善悪、人の心に向き合う大事な時間が持てたことは良かったと思う。人は成長の連続した軌跡をたどるのだなと思っている。

 何日か前に仕事の合間での待ち時間に水前寺界隈の商店のアンティークな佇まいに惹かれてしばらく眺めて昔を思い出したことがあった。その数日後にある窓口ロビーでフルート演奏を通りすがりに聴くことがあった。慌ただしく生き抜いて日々を送る中にも、ちょっとした心のオアシスを求めてやまない遠い記憶が舞い込んできた。

 企業戦士として高度成長時代を駆け抜けた時代に感じたちょっと現実から逃避したいという思いが、当時音楽に心の潤いを求めた時があった。ポーリモーリアが好きだった。夏の暑い日にデパートに入って、冷ややかな冷気にほっとし店内を流れる静かなストリングスの音に引き込まれたこと想う。少し目先のことに追われた時間が遠い記憶をたどることになったのかもしれない。

 還暦を境にひとまず、人生を振り返ってひととおりの納得した思いはあったが、長生きの時代に入って親や祖父母から聞いていた人生とは違う流れに気がついて、人生には多くの問題や課題があることを知った。年を重ねるごとに楽しみではあるが多くの壁があり、現実の厳しさがみえてくる。だから、心が静かで居心地の良い時間と空間を求めることがあるのかなと思ったところである。昔感じたことを再び繰り返して感じることがあるということを街の風景の中にみた思いである。

 趣味の世界も様々で、忘れていた心を思い出した瞬間。
 ひろがりのある人生を送れる人は本当に心豊かな人なのだろう。

笛の音に 昔をたどる 初夏の午後

   


2017.6.19 夢と現実・・・人の想いもそれぞれに・・・

 夢を見る・・・目が覚める。間違いなく日々の現実は淡々として流れている。
 人の心を推し量る。人は自分に都合の良い状況を設定する。その設定をベースとして自分の都合の良い妄想を始めてしまう。でも人は賢いものだ。どこかで夢と現実は違うということはよく知っている。

 でも人は弱いもの。もしかしたら、現実が夢と入れ替わってくれるのではないかと期待する。厳しい現実は理解していても一縷の希望に託すこともある。現実を無視して夢に向かって走る人がいる。無鉄砲というかもしれないが若者の時代にはよくある話。

 そしてまた、時には感情の作用で、それをたまには受け止めて夢を叶えてあげる心の広い人もいるが、多くの人は自分の感情のままに心を閉ざすのだろう。さりげなく無視して自分の道を歩む。それもそうだ。常に人のために心を変えていてはたまったものではない。

 人が素晴らしいと思えるときは相手に無理な夢でも「叶うといいね」という言葉か態度でフォローすることがある。これが優しさだが、したたかさに変わることもある。ここが人生のドラマを産むところ。

 人は残酷でもある。他人の心を逆なでして快感を味わう動物でもある。厳しい仕打ちをさり気なくすることができる。そして上手に言い訳をして気がつかなかったともいうことができる。相手に厳しい現実を突きつけることができる。この辺は様々なパターンでドラマを産む。
だから、人生は面白く出来ている。

 つまりは、大事なことは現実を知ってどう考え行動に移すかだろう。夢をあきらめるのか、はたまた新たな夢に立ち向かうのか。人はバランスの動物でもある。現実が今の自分にどう作用するか、何が得策で何が障害となるかわかっている。いま、自分が確実に前に進むのはどの道を選ぶのかしっかりと見える生き物だが、それをどう見るか、どう受け止めるかはまた多くに選択肢を抱えている。

 人は常に仕事や地域、そして家族や友人、趣味の世界で行き交う世界もあろう。どう向き合うかどうかかわるか、そしてどんなバランスで生きていくのか難しい選択をしながら生きていかなければならない。だからやっかいでもある。浮世を離れて静かに自分を見つめて生きた先人たちの知恵もわからないこともないと思ったりする。

  叶う夢 叶わない夢 それぞれに
  夢は夢 覚めて見る夢 宝くじ
  現実に 縛られたくない 人の夢

  人生の 峠を幾度と 越え行きて 辿る思いは 夢のまた夢



  


2017.5.15 夢の実現はいくつになっても・・・

 人生80年は当たり前!これからは平均寿命100歳の時代になるという。とすれば・・・まだやることは沢山あるなと考えてしまう。
 先日、ふるさとで古希を迎えた女性が田舎カフェを始めたという。いいね!と声援を送りたくなる。無理はしなくてもやれることを楽しんでやる。そして人生死ぬまで人と人とが織り成す人間模様にどんな彩を添えるかということなのではないかと考えたみた。最近は元気なご老人が多いし、人生を自分の納得のいく形で個性的に生きている姿をよく見かける。
 ローカルに踏み込んでいくと昔ながらの考えや地域の習慣がまだ根強く生きているが、新たらしい物の考え方や生き方がこれから求められてくると思う。秋のお彼岸の法要に行政書士の相続遺言セミナーをやってほしいという田舎の住職もいる。エンディングノート等の話をわかりやすくやって見ても良いなと考えていると、なんとお寺さんでエンディングノートなるものを檀家に配っている。驚いた。
 これはお寺でやる「終活セミナー」になるなと考えついた。何かを変えたい。新しい感性で地域を見つめ直してみたいと夢をあきらめずに生きてきたら、面白い企画にぶち当たった。世の中捨てたものではない。田舎はダメだと意気消沈することもないなと力が湧いてくる。人生面白い。70歳、80歳はまだ青春だと思えてきた。まだまだこれから!大いに夢を語りたい。老人よ大志を抱け!!なんてね。

 夢を持て 大志をいだけ 八十路坂
 良さがある 私を見てねと 花が咲き
 あるはずだ 古希から始める 希望の芽


2017.2.5 ようやく面白くなった大河ドラマ

 女城主 直虎の評判が今一つという話も聞くが、今日あたりから面白くなった。この井伊家の話はあの桜田門外の変で覚悟の死を遂げた井伊直弼のルーツのようである。幕末に強いリーダーシップで開国し通商条約を締結したあの井伊大老の祖先は今回の大河の主人公の直虎である。直虎は実は男だったという説も浮上してきているようだが、いずれにしても、前回の真田と同じように厳しい戦国の世を生き抜いてきたわけでそうした歴史の背景をもって見ていると、多くの人に示唆を与え、また人生を生き抜く力となる部分もあろうかと思う。今日の展開では、亀之丞が凛々しく成長して伊井谷に戻ってくるシーンは少なからず感動した人も多いかと思う。
 また、亀の丞と鶴の立場や心の葛藤は少なからず柴咲コウ扮する次郎法師に思いを寄せるが三人の幼馴染の絆と心理描写もなかなかである。人の世は常にそしてどの時代も実る恋とはかない恋そして様々な恋が生まれるが、鶴(正次)の立場にも共感するところがありこれからの展開が楽しみである。

 大河見て 歴史の重みに めぐる夢
                     人として  築く時代の 一路かな 


2017.1.16 リノベーションの力・・・これからの地域活性化のヒントに!

 衰退する地方の街、空洞化と時代の流れに朽ち果てていく故郷の町並みにもう一度、命を吹き込むエネルギーが欲しいと考えている中で、はっとするようなテレビ番組が放映されていた。「これはいい」「これはいける」と思った。ある建築家の原点がそこにあった。
 いかに古きものを活かし、人間の心を映し出す住みかを創るかということらしい。今まで無関心だった古びた建物アパート、団地が妄想力で作り変える。豊かさと量を求めるのは貧しいことだという。

 綺麗な建物に作り変えるだけでは面白くない。しかし、行き詰った時に小手先の作り替えただけではだめで、その建物の持ち主の思いにたどり着けるか、創り変えようとする建物に人の集いが見えてくるか!この思考が価値あることだと思う。古いものを新しくするという。そこには建築家としての能力にそれが、人を活かす建物になりうるか。地域に馴染んで行き続けられるかということのようだ。

 すごい感性である。地域の特性と老朽化した建物の歴史を訪ねて未来を創るということなのかと理解した。ふるさとを活性化したい。活力を生み出す方向性を見出したいとあくせくして結果何もできない時間をいたずらに過ごしてはいけないのだ。きっと気づいてない価値が有る。そこに目をつけ、そこから広がる新しい未来を見つけることが出来るかどうかということなのだろう。そうした完成と力が欲しいものだ。プレゼンテーション力の求められるとことでもある。

 この建築家は言った。「よそ者の自分だから見えることがある。そこにいる人に夢を見れるようにしてあげたい」ということなのだそうである。


2017.1.2 穏やかなお正月

 2017年の幕が開いて、昨日は息子の家族が我が家にやってきた。恒例のカニ鍋でのお正月。二人の孫娘がすっかりやんちゃになって賑やかな夕食会となったが、2日の今日は朝寝をしてからぶらりと近所を散策。
 お正月は歩いている人が少なく、ひっそりとした感じ。朝食べたお雑煮で膨らんだお腹をこなすために散歩をしながら、今年の目標を考えた。長年の仕事を終えたこともあり、いろんなことをやってみようとは思っているが、事務所経営も考えていかねばならないし、専門業務を固めていかねばならないなと勉強をしていくことも大事な目標である。
 今年の座右の銘とする四文字熟語は昨日、日記に書き込んだ「思索生知」・・・道理や筋道を追って、物事を良く考えることで知恵が生まれてくるという意味のようだが、熟考しながら、大事な今年の一日一日を確実に歩んで行きたいと考えた。そうした事を考えながら、地震の復興もあり、地域や社会のために役立つことをやっていき、仕事を通じて困っている人の気持ちを大切に幅広く相談をうけ止めて、書類の作成などをする中で、一緒に考え、困りごとの解消に役立つ事案処理を一つでも多く行って行きたいものである。
 それにしても、家族が元気で顔を合わせて静かに過ごすお正月。取り立てて何があるわけでもないがありがたい年の始まりだ。


  腹八分? 正月だけは 腹一杯
  膨らんだ お腹で散歩 計る夢
  ごく普通 静かに家族と 雑煮食べ



2016.11.13 街へでかけて・・・

 先日、ある打ち合わせで少し早めに家を出た。ようやくの秋らしい陽気に誘われて街のウインドウ眺めながら歩いていくと、カントリーソングの「ウインドウショッピング」というハンクウイリアムスの曲を思い出した。♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦

 落ち着いた洒落た感じの本屋さんらしき店がオープンしていた。本が安い!ワンコインで買える。
 「ここは古本屋さんですか?」と聞くとまだ若そうな中年のスラリとした男性が「はい、店を出したばかりです!」と答えが帰ってきた。目にとまった本2冊を購入。感じの良い応対でこうした明るい店の作りなら客も増えそうと思ったところである。

 東京神田の神保町に並ぶ古本屋さんのイメージとは違って、生活雑貨でも売っていそうな明るい感じの店舗だった。やはり時間に余裕を持って行動するとなんだか心も豊かになった気分!これだね!こうした生活スタイルがいいなって思った時間だった。


 つかの間の 秋の私は 自由人
 広小路 秋の日差しの 新店舗
 秋らしい 身のこなしかな 新店主




2016.11.10 気楽、気ままは・・・どこへ?

 仕事から解放されて、のんびりゆっくりは暫しは良いが、どうも人間は忙しさの隙間に生じるくつろぎの時間を大切にしようとするのではないかと思うようになった。日々忙しく動き回る方が良いのかもしれない。
 ゆっくりとした時間に浸っていると、それはそれで良いのだが、少し勘違いがあったうように思う。ゆっくりしすぎるとどうもリズムを壊してバランスを失うのではないかと思う。「毎日が日曜日に」とは極楽のように感じていたが、時間があることとその時間をどう使うかということはしっかり意識していないといけない気がしている。日々緩急をつけて暮らしぶりを考えていないとどうも体調にも異変が起こりそうである

 気楽に、気ままに!というのは時間の過ごし方や暮らしぶりのスタイルのことなのだなと思い、のんびりゆっくりをどこかで気楽に気ままにということと勘違いをしていたようだ。晴れの日があれば雨降りもあり、風のない日もあれば、激しく風が吹き荒れる日もある。変化があってリズムが生まれ、日々の異なる陽気に対応して身のこなしを変えていくから飽きないしおもしろいのであろう。

 することがなくてぶらぶらしているのは気楽でも気ままでもない。自由な時間にどう命を吹き込むかということが日々求められているのだなと思い至りながら、時間が無く慌ただしく動き回っている時のほうがかえって楽だろうと思う。そしてあまり考えなくても良い。あり余る時間に浸る時に人はその過ごし方をしっかりと頭においておかねばならないのだろう。毎日の時間に緩急をつけて寄せる波を乗りこなしながらサーフィンでもするように日々を過ごすことが大事なのかもしれないと思う日々である。

 疲れたら体を休めるということとは違う世界だなと思っている。
 気楽に、気ままに過ごすということは案外難しいものなのかも知れない。凡人には手の届かない所に封じ込められて味わうことのできない世界なのではないのかと考えてみた。



  


2016.9.27 耶馬溪・・青の洞門に思う!

 菊池寛の「恩讐の彼方に」の小説の舞台となった耶馬溪。禅海和尚が長い年月をかけて掘り続けて完成した「青の洞門」のあるところである。今月末で大分営業所を閉鎖して新たなスタートをきることとしたが、長年働き続けて初めてゆっくりとした時間が待っている。なんだか寂しいというよりか不思議な期待感が宿る。そして、これからやりたいことをしっかりと進めていけるという思いが湧いてくる。人生これからだと思っている。
 罪の意識から岩山にノミを立て、少しづつ砕いて人々が川に落ちずに安心して通れる道を作ったのが禅海和尚だが、人は気持ちの持ちようで大きな成果を導くことができるという教訓をこの話に見る。強い意志を持ってこれからやりたいことを見つめながら、自らの人生の価値を高めていければいいなと思う。
 人生の価値は何によるのだろうか・・・私の人生の価値はいかほどなのかと、少し心寂しい思いが残るが、これからの生き方で今までの曲がりくねった足跡に意味ある道筋を建てたいと心に銘じている。きっとそうできると思っている。学生時代から続けている音楽にも思いがあるが、ゆっくりとした時間で絵も書いてみたい。写真もいい。カメラの勉強も創造力を掻き立ててくれそうである。私はどちらかというと自然の風を受けながら心を揺すぶられて生きて見たいと思っている。
 理屈にこだわる割には、理屈に窮屈さを感じる。感じるままに生きたいのに縛られるものがある。文章も書いてみたい。心を表現してみたい。言葉には不思議な力を感じている。ゴツゴツした中にどこか優しさをも表現しているこの耶馬溪の岩肌は何か懐かしさを感じる。海の底に堆積した石ころや泥が隆起して陸地になり、山を築いて面白い景観を作り上げている。山伏や修験道者たちが心を極めた場所でもある。自然が作り出す不思議の世界に踏み出して人生の意味を考えて見たいと今思っている。

  風が吹く 今吹く風は 明日の風 
  価値求め 夢を求めて 創る明日
  偉業とは 不屈の心に 見る光






2016.7.31 

 先日、ある書道家の先生ご夫妻と今後の展開の広がりを企画して、市内の事業所のトップを紹介して懇親の場を設けることが出来た。一文字に夢を載せてはがきで応募する事業をボランティアで進めているが、双方とも意気投合して楽しい談話の時間となった。お酒も回るほどに和やかなムードの中にも熱気あふれる意見交換ができ、次の仕事にはまた新たなイメージが添加されて広がって行きそうな感じがした。
 文字文化、手紙文化の更なる普及を考えるこちらの考えも受け止めていただき、応募方法や展示方法も巡回させて多くの人に見てもらうこともできそうである。楽しい団欒のひと時であった。

  夢を追う 心が結ぶ 人の縁
  一文字に 思いを添えて 人づくり








2016.6.14 あれから2ヶ月・・・
 余震の不安が覚めないまま、「もう2か月が過ぎたのか!」という感慨が押し寄せるが、早いとも遅いとも思えない2ヶ月目を迎えて複雑な心持ちである。一ヶ月を過ぎた頃にあい続く余震にイライラしたことを思い出す。「一体いつまで続くんだ!」心の中で叫んだことを思い出す。余震の回数が減っても震度3クラスが頻発して、もう一度大きな揺れもありうるという気象庁は警戒するように言っていた。
 やや気持ちも落ち着こうとする着前に熊本八代で震度5弱が起こって驚く。震度4も起こっての2ヶ月目を迎えた。歴史を辿ると過去に熊本地域では同じような地震があったという。人々は過去の教訓を忘れていた。もうあんな大きな地震は当分来ないだろうという風に考える動物なのであろう。感情的には理解できても、防災上は行政や学者の責任は重い。
 今、日本の気候や火山、地震の活動は活発化してきている様に感じる。予知は難しいと言いながらもその研究はかなり進んできて今後は防災のあり方も様変わりしてくるかと思われる。いまだかってなかった震度7が続いた地震が常識を変えた。南海トラフも
しっかり対応しないと大変なことになる。
 今回の熊本の経験をこれからの対策にしっかり生かしていきたいものだと思う。特に我々自身の意識の問題として常識を塗り替えていかねがならないと思ったところである。




2016.5.8 地震と避難生活

 14日、16日と震度7を迎えた熊本地方で2度にわたる大きな揺れに耐えた我が家は中央区で阪神・淡路大震災クラスの震災が来ても耐えられるということで安心をしていたが、余震も多く、電気・水道がダメであれば流石に避難生活をせざるを得ない。ライフラインの寸断もさることながら、避難していても余震が続く中で体は休まらなかった。
 避難をしても、体育館で横になっていても多くの人がいて落ち着かないし、なかなか眠れない。勢いグランドに止めている車の中で家族が一緒に夜を過ごすことが多かったが、エコノミークラス症候群とやらの話が出てきて、そういえば体調がよくないし、ストレスも溜まってきて5日ほどでマンションのリビングに戻りごろ寝をする生活に切り替えた。
 一時は水もない、食べ物もない状況が続いて、地震発生後、電源の落ちた冷蔵庫から食べ物を取り出したり、行列の中でようやく手に入れる食べ物で、最初の3日間は避難所にも物資が届かないという状況が続いた。コンビニやスーパーは地震で閉店してお金があっても物が買えない状況で食料の備蓄の必要性も感じたところである。
 余震の揺れの怖さも我慢すれば、散乱した家の中でも手足を伸ばして少しでも睡眠が取れるのでまあだ良い方で、家が全半壊した人たちは心も休まらないままに、避難生活に耐えているのだろうと思うと堪らない。避難所から出勤する人も多くいた。休めない職種の人たちも多いのだろうが、会社の中の清掃や整理、そして取引先との約束もあるだろうから休んでいられない。

 こうした震災の厳しい現実を体験して、今までどこか他人事としてきたことを反省したが、人とはこうしたものなのであろう。情けないことだが、自らの心を強く持って、少しづつ厳しさに立ち向かっていくしかないのだろう。
 形式的には避難生活を終えて自宅に戻っても、余震が続く限り、精神面での避難生活は続いていく。


2016.3.9  故郷のメタセコイアの木

 故郷の我が家の近くに、町のシンボル的な木が天に向かってそびえている。四季折々の表情を見せて心を癒してくれる。メタセコイアとは、 スギ科の針葉樹の一種。和名アケボノスギ というらしい。いつの頃か大きなこの木の存在に気づいて、いつかこの木をクリスマスツリーとして飾って見たいものだと思っている。
 聞くところによると、誰かの記念樹として植えられたそうだが、この木のある風景はすっかり故郷の風景として定着している。
 
 曙杉というその名の通り、
朝の散歩に出かけると先ずこの木が目に入る。背が高い木だから、その先端はいち早く朝日を浴びて、夜明け前でもそのシルエットは遠くからも目にとまる。堂々として頼もしい限りである。毎朝この木の下を通ってウオーキングの出かけ、故郷の田園を巡って一時間ほどしてこの木を目印に戻ってくる。

 故郷はすっかり春の装いで、これから華やいでくるが、新緑の頃のこの木を中心とした風景もこころに染みる。じっと見守ってくれるといった安心感もあり、心の支えとなってくれる大切な木でもある。秋になれば彼岸花との共演も鮮やかな風景を作ってくれる。自からの人生を振り返り、小説でも書きたくなるような大きな存在でもある。

    立ち姿 ハンサムだね メタセコイア
    朝も良し メタセコイアの 夕も良し
    癒されて メタセコイアに 四季の風
    




2016.2.19 府内城

 宗麟の 夢見た世界を 映し出す 
         府内城址の 梅の花かな

  普段あまり気にも止めていなかった府内の城跡を歩いてみると、城址公園となってそれなりに整備されていたのには少し驚い た。ぼつぼつ梅の花もつぼみをつけて春を待っているようである。
  昔何度か来たことはあるが、大分のビジネス街に城壁がこじんまりと残っている印象だったが、中を歩くと堀や石垣に歴史の  重みを感じて戦国大名でキリシタンでもあった大友宗麟の時代に思いを馳せた。南蛮とも交流も行いひと時代を築いた宗麟の  足跡をたどることができ島津との戦いに敗れて勢いを失ったが、黒田官兵衛の時代には別府の石垣での戦いが有名である。  
  親が築いた栄光の道を息子たちが 跡を継いでいくというのもむつかしいものである。いつの時代も同じこと。親の思いとそれ  を受け継ぐ子等の思いが交錯しながら歴史を刻んで行くものなのであろう。

  
  

2015.12.15 阿蘇はいい!悠久の時・・・

 大分と熊本を行き来する時に、いくつかのルートがあるが、阿蘇のミルクロードを走るのは何と言っても快適である。悠久の時を抱え込むようにして雄大な阿蘇五岳が心を癒してくれる。車をしばし止めて涅槃像の形に見惚れてしまう。日々の小さな出来事はこの阿蘇の大地に吸い込まれていくようである。
 カルデラの底に広がる田園風景もまた素晴らしい。碁盤の目のように整然と区画された景色が広がる。この景色を見ながら時々人の人生を考えてみる。自らの時も振り返る。大きな時間とこれまで歩んできた出来事が交錯する。いろんなことがあって今がある。これでいいのだと阿蘇の山が言う。これからも精一杯に生きれば良いという。そうだねとそっと心の中でつぶやいてみた。

  悠久の 阿蘇の大地の 師走かな
  治まりて 小春日和の 阿蘇の山 



2015.10.14 佐伯城下の秋

 仕事で県南の佐伯、臼杵方面を回ってきた。「天高く、佐伯の城下の 石畳」と一句!
 先月は歴史資料館を見て佐伯の歴史に触れたが、前回訪問した時に見れなかった国木田独歩館を仕事の合間に訪問して明治の文学の歴史に触れてきた。国木田独歩も漱石と同じように教師としてこの地に一年間滞在しその足跡を残している。この佐伯の地が大いに気に入って、後にここを舞台にいくつかの小説を書き上げている。実は彼が千葉の出身とは知らなかった。この記念館は彼が一年間下宿していたという。裏に蔵があり、その二階ではゆっくりと本を読めるような明治、大正のロマンを感じさせる心地よい癒される空間が用意されていた。



2015.10.8 時は巡りて彼岸花

 近くの農園の入口に今年は昨年以上に秋を彩る彼岸花が咲き誇っている。毎年見る同じ光景に感じるが人の心は一年ごとに成長する。微妙な変化を宿して季節を感じていく気がする。昨年あった何かが今年はなく、あらたな何かが生まれている。人の一生はそうして形作られていくのか。
 今ノーベル賞の受賞で日本中が賑わっている。凄い人たちが世の中にはいるものなのだが、ノーベル賞の受賞でその人の人生も浮き彫りにされる。素晴らしい業績を支える生き方が背景にある。親の教えや恩師の言葉、友人の思いが添えられる。それぞれの人が素晴らしい人生を携えて生きてきているということがよくわかる。毎年、同じ時期に同じように咲く彼岸花を囲む環境や人の暮らしも少しずつ変化して今年の秋の季節を感じるこの頃である。
 今年気がついたことは、たまたま、彼岸花が芽を出す少し前に農園の入口の草刈をしたところ、彼岸花が綺麗に咲く環境が作れたことを知った。良し!来年もこの時期に草刈をすればいい!と思ったところである。10月も中旬になろうとするこの時期に彼岸花は役目を終えた。昨日この彼岸花の道の草刈をした。またあらたな秋の草花が無邪気な顔を出して、私たちを楽しませてくれることだろう。
 季節は巡る。来年また咲く彼岸花もめぐり巡りて多くの人の心を癒してつつ、新たな秋の季節の誘いをうまく演出をしてくれるだろう。そう考えて見ると、四季の移り変わりも楽しいものである。



  華の道 心の道は 人の道


2015.8.20 「 いつも誰かのために!」と「おせっかい!」

 人間、無理をするとあとでツケがくる。喜んでもらおうと思ってしたことが、実はおせっかいだったりする。もっと自分のために生きればいいのに、余計な手出しをしてマイナスの効果しかでないということはないだろうか。人はどこかでかっこよく振舞おうとする。もうそこに無理がある。

 きっとあの人評価してくれる、喜んでくれると信じていても、蓋を開けると降格人事だったということもあるだろう。職場における上司や部下そして同僚といった関係で顕著であるが、仲間や友人、さらには家族の間であればもっと微妙だろう。自分の思いをしっかり伝え切っていないと、単なる思い込みということでスレ違うことになる。ところが往々にしてあることは、相手はきっと分かってくれていると思っていても実は全く違う考えでいたということもある。人間同じ思いに立つということはかなり難しい。相当のコミュニケーション力が作用しないと相互に信頼に足る行動や言動には至らない。「ボタンのかけ違い」とか「温度差」といったものがこれに当たるのだろう。

 いつも誰かのために・・・と思うことは素晴らしいが、その誰かにその思いが届くがどうかがポイントである。一方、おせっかいは・・・というと自分の感情に任せてよく考えないで勝手に行動してしまうという感じが強い。良い時は良いが飽きてくると始末が悪い。要するにあまり人のためにと頑張り過ぎずに、まず、自分の足元をよく見て、自分の周り固めておかないと
人のことに心を砕いているうちに自分が乗っているたらい船が泥船だったりする。

 自分のことが完璧にこなせて、その上で人に目を配るというのは自分も周囲の人も幸せになれるだろうが、ここが中途半端なのに、「人のために・・・」などと甘い言動をやってしまうから、単なる「おせっかい」になってしまうのだろう。自ら大きな勘違いをしてしまっているのだろう。無償の愛で「いつも誰かのために・・・」と願い続けられる聖人君子ならそれでいいのだろうが。凡人が無理をして背伸びしても結果は望めないということになる。


 


2015.8.13 朝の虹

 一年ほど前に早朝散歩の際に偶然見た朝の虹。それ以来、もう一度見たかどうか記憶はないが、今朝の散歩の帰りに美郷の上の空にうっすらとかかっていた。虹にもロマンがある。夢がある。出会うと嬉しいものであるが。すぐに消えてしまうから貴重でもある。

 昨日は一日雨であった。今朝方まで降ったのかも知れない。このメカニズムが少しわかってきた。理屈的には朝日の光を浴びた空気中の湿った空気に光が反射して七色の光を発する。従って朝の虹が出るのは西の空である。そして太陽が強い光を発する時間には明るすぎて見えにくい。朝方はまだ陽の光はそう強くないが、今日の状況からすると東の空は雲が多く薄曇り状態で水平線付近は霞んでいた。

 この霞んだ状態が部屋を少し暗くして映画を観るように虹が見える環境を作ってくれたと思える。朝の雨と適度な陽の光、そしてスクリーンの役割を果たしてくれた西の空に雲がなく映し出されたということのようである。
 多くの自然条件が揃ってのハッピーレインボウであった。

  朝の虹 自然が生み出す 夢の色
  偶然に 七色の幸 掴む朝



2015.8.10  日の出

 ふるさとの海岸での日の出は時間の経つのを忘れてしまう。東の海から陽はゆっくりと昇る。海岸近くのコンビニでコーヒーを買い、突堤の先まで歩いて先端の休憩スポットで腰掛けてコーヒーを飲む。私の贅沢な時間である。
 いろんなことが頭をよぎるが、昇りくる太陽を見ていると心が落ち着く。波の音や港から出て行く船を目で追っていると、いつの間にか太陽は上の方に動いている。じっと見つめているとほとんど動かない。静かな朝の太陽の懐は大きい。

 朝コーヒー お盆間近の サンライズ
 里帰り ツクツクほうしを 聞く浜辺    
 日の出見て 墓掃除かな 帰省客




2015.7.24 ふるさとの夏はまだ?

 梅雨の合間に晴れ間がのぞいた。梅雨明けまじかであるが、台風の影響で九州はまだ梅雨明け宣言が出ていない。しかし、すっかり夏を思わせる入道雲がふるさとの夏をアピールしている。
 ギンギンの太陽の日差しはもう夏そのものである。


  雲の峰 天を切り裂く 暴れん坊



2015.6.23

 農園とは別に家の庭の畑の一角に植えたジャガイモたちがボツボツ収穫時ということで鍬を入れてみると、掘り起こす土の中から大玉や小玉ののじゃがいもが顔を見せた。同級生の仲間達と競って植えて収穫の時には味比べをしようと話をしていたことを思い出した。
 じゃがいもにもいろんな種類があることを知ったが、苗を買いに行った時には、男爵いもは売り切rていた。何でもいいとある苗を10本程買って植えたものがしっかりとしたじゃがいもとなっていた。
 さっそく、朝の食卓にはホクホクのジャガイモが・・・・マヨネーズをつけてがぶり。うまい。やはり採れたては格別だと納得してしまった。

 採れたてと 手作りの味に 納得し
 掘る人と 料理する人 食べる人 


2015.6.13 野菜たち元気です!

 5月に植えた野菜たちがすくすくと育っています。追肥と水遣りを仲間の指導と応援を貰いながら、何とか楽しく自然とふれあい、農園仲間たちとコミュニケーションを図りながら、心の栄養になっています。やはり故郷の大地、空、白い雲・・・いいですね。
 昨年の秋から始めた野菜作りだが、やてみると奥が深い。教わることも多いがなるほど!と思うことが多い。理屈がわかるとまた野菜作りに愛着が沸いてくる。人と交流するのも、野菜と向き合うのも同じなのかも知れないと思う。こちらが一生懸命にやらないと振り向いてくれないからね。
 昨年、上手くいって、今回思うように行かなかったのは「ほうれん草」、今回、種を蒔いて育っているのは「大根」だ。やはり難しいのは人参。友が言うにはタイミングが大事だという。野菜たちが欲しがる時期に欲しがるものを・・・・だから会話が必要だと。そうですね。人でも野菜でもしっかりと対話して心を通わさないとダメなんですよね。ピーマンは初めて植えたが順調に実をつけてくれている。まもなく、ナスが大きな実をつけてくれるだろう。
 
   野菜にも 気遣う心 対話力
   土いじり 無心純心 時忘れ
   気遣えば 野菜も応える 大きな実   


2015.5.9 御前崎の灯台そして大鐘家資料館

 友人の青春の思い出に付き合う格好で、浜松からレンターカーを借りて、御前崎の灯台を目指した。友人のY君の思い出の地は早良海岸の近くのある街の床屋さんだった。40年を経過しても当時と同じところに建物があった。そのことだけで十分だと友は喜んだ。
 御前崎の灯台に着くと、今度は私の思い出の場面になろうとは思いもしなかった。海岸の先端にそそり立つ白い灯台はどこかで見た風景の中にあった。200円の入場料を払って灯台に上り、広がる太平洋の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。手すりはあっても足が竦む。灯台を降りて、説明書きの石碑を見ると「喜びも悲しみも幾年月」の映画の説明がしてあった。確か俳優の加藤剛が主演のあの映画!ここが舞台だった。私が意を決して東京を後にする時に、記念にと家族で見た映画だった。人生の転機に気持ちは昂ぶり、もう後には戻れない。でもUターンを諦めようかと迷いながら苦しくなって、途中で映画館を出た。そんな苦い思い出の映画であり、心揺れる岐路にいた。
 灯台をあとにして、同期生の集まる焼津のホテルへ向かう途中にほんの思いつきというか成り行きで立ち寄った「大鐘家」。柴田勝家に仕えていたが、秀吉の配下となって生き延び、賤ヶ岳の戦いで武勲を挙げ、信長にもらった名前が「大鐘」であった。後に武士を捨て地域の庄屋を取りまとめる大庄屋で400年の歴史をたどった。16代目の当主が自ら案内をしてくれた。秘伝の百葉茶は三拍子揃った健康茶ということでお土産にした。

 四百年 歴史の重みの 資料館

                                               大鐘を 金に読み替え 暗示かけ
                                               百葉茶 ヒアルロン酸入もあり
                                               


2015.5.5 故郷の田園風景

 五月晴れの朝は気持ちいい。近くの公園を一時間ほど散歩した。季節は巡り風薫り、草燃える。日本の四季は本当に素晴らしいと思う。ちょっと前を考えると菜の花やれんげ草の広がる田園風景があった。人の心にも四季がある。人生にも四季があると感じる時がある。
 「春夏秋冬」この季節が移りゆく流れが楽しくもあり、厳しくもあり、物悲しい時にも友となって寄り添ってくれる。今は春から夏へ移りゆく季節。故郷の田園風景には早稲の田植えがも始まっている。人の営みが自然と同調して生き生きとした日々を産みだしていくから味わいがある。人の心も人生も時を刻んで味わい深いものとなっていく。過ぎ行く季節に思いを馳せるのも時にはいいものだ。今は少なくなったれんげ畑も貴重な風景になった。
 季節の記憶を、そして故郷の田園風景をこのページに刻んでおこう。



移りゆく 時の流れと人生は 味わい深き 四季の如くに


2015.4.14  涅槃像

 確か福岡の笹栗に「涅槃像」のある有名な寺があった。涅槃とは煩悩の火を消して、知恵の完成した悟りの境地と説明されている。涅槃像は釈迦の入滅のこととされているが、いつも行き来する阿蘇の風景は遠くから五岳を臨めば、根子岳が顔の部分で中岳あたりが胸からお腹の部分でしょうか、とにかくお釈迦様が寝ている姿に見えることで有名である。
 また、季節によって、見る場所によっても見え方が少しづつ異なるから、その時々で不思議な気持ちになる。でも人が作ったものでなく、自然界の物がそう見えるというところがすごい。
 近頃、六郷満山の歴史を辿るにつけ、檀家としてお寺に係わることが多くなったことなどにより、これまでとは違った見え方、感じ方をするようになってきた。良く祖父母等から聞いた世界に入りつつある。宗教としても大事なのかも知れないが、学問としての釈迦の教えもこれからの自分にとって大事なものなのかもしれないと思いはじめている。

  皆通る 仏の道は 人の道
  悟りたい 心を空に できるよう
  欲がある 思いがありて 消せぬ火か



2015.3.29
 
 まもなく、3月が去る!仕事も区切りをつけ、今日は熊本の仲間たちとゴルフコンペで楽しむことができた。年2回のコンペを計画して交流を図っているが、こうした集いには幹事の方々のお世話によって成り立っている。みんなそれぞれに忙しく、直前で人数が減ったという。会長は次はもう少しメンバーを増やしたいと言っていた。

 今日も顔見知りではあるが、そう親しく話をすることもなかった人が同じチームで一日一緒にプレーで回ると、もうすっかり和んで話をしている。スポーツや遊びを通じて交流することで人と人とのコミュニケーションが深まる。次に研修会等で会うときには「やあ!」と気軽に声をかけることができるから素晴らしいことである。

 ゴルフの腕前も皆さんなかなかのもので、マイペースでゴルフを楽しんでいる姿は勉強になる。自分の年齢に合わせて自分流のゴルフが出来上がっている人が多い。
 
 上手に遊ぶ、楽しく時間を過ごすということをさりげなくこなしている。私もこれから肩の力を抜いてそんな粋な生き方をしてみたいものだなと思ったところである。



2015.2.16 研修の合間に佐賀城を見学!

 「企業の宝を活かす、元気九州、佐賀発信」のテーマで知的資産経営を学ぶ機会があった。久しぶりに佐賀を訪れたが、今の県庁のあるところが佐賀城のあったところであるが、いつも通過するだけの訪問だったが、研修の前に時間があったので、バスを降りて30分ほど散策をしてみた。仲間の人たちが行く方向についていくと佐賀にもこんな立派なお城があったのかとビックリ。本丸御殿のある門の前で記念撮影した。
 佐賀といえば「はがくれ武士」、鍋島藩の居城であった。このあと大隈記念館も見学したが、今まで知らなかった佐賀がそこにあり、なんだか親しみを感じるいい時間を過ごすことができた。

   葉隠の 心得えたどる 佐賀城址

   如月や 歴史をたどる 佐賀路かな    


2015.2.9 競い合う仲間、親睦ゴルフ会
 昨年の10月にスタートした同級生仲間の親睦ゴルフ会。気のおけない仲間たちだから和気藹々と楽しい時間を共有できる。2ヶ月に一回、みんなが健康で過ごして元気の証としてゴルフバックを担いで集まってくる。親睦を目的とするのではあるが、プレーは勝ち負けも伴うから誰しも熱が入る。
 ゴルフは、グリーンに向かってなるべく最短距離でかつまた最も少ない打数でゴールすることがその目的であるが、途中の障害物を上手くコントロールしながら回避してたどり着くことから、コースマネージメントという力量が求められる。こうした大変さを多くの練習という努力でカバーする。コースに出てのプレーはその練習の成果を問われる場でもある。
 今回、その努力の成果をきちんと発揮したメンバーが一人いた。会を重ねるごとにスキルアップしている。写真で見るとフォームも安定している。この2ヶ月の間にかなり練習に励んでいたことがわかる。趣味の会でも、親睦会でも、お互いに内容を高めるという気持ちが大事である。親睦を図りながらもお互いに競い合い、自分の技術を磨くから達成感や喜びがある。また、人からの評価を励みにさらに頑張るものである。
 今年になって初の集まりは手応え十分。私の成果は課題を多く感じさせるものだが、新たな楽しみも増えた。ゴルフを深めていく中で心の鍛錬と練習を通じてまなぶという姿勢が身についてきたのが嬉しい。

 

    研究に 心が弾む ゴルフ会
    親睦の 中に戦う 闘志秘め
    高め合う 技術を支える 親睦会


2015.1.30 仕事の帰りに歴史探訪・・・・
 今日は雪模様と聞いていたが、朝から冷たい雨が降っていた。いつもの散歩は傘をさして身近の田園のコースをたどった。
 今週はデスクワークが続き、どうも落ち着かない気分だった。訪問計画をしていた届け物のある職場もあり、新年になって顔出しをしていない事業所もあり、午前中にうまくアポイントがとれたこともあって、順路を組んで車で出発した。今日はツキがあったのかもしれない。行く先々で歓迎ムードで楽しい職場訪問となった。
 別府では以前同じ職場にいた人が後ろから声をかけてくれた。大分ではある会社の支店長がわざわざコーヒーを用意して待っていてくれた。そこでも一緒に仕事をした仲間と会うことができた。
 最後に法務局にも顔をだして、帰路についたのは16時を回っていた。空港道路を降りて海岸沿いの道に入ってすぐに「安岐城址」の看板が目に入り、いつも気になって通り過ぎていたが、気分の良さも手伝って車のハンドルを大きく切ってすぐに目的地についた。
 城跡は小さな道沿いに古い石垣があり、入口らしき階段があった。奥まった天守台のあったところには小さな神社が建てられていた。鳥居を見ると天満社となっていた。黒田官兵衛が6千の軍勢で取り囲んだというこの城は時代の経過の中で風化してしまって田舎の風景の中にすっかり溶け込んでいた。
 幼い頃、ここを通っていた鉄道があった。車内アナウンスが「次はフルシロ~・・フルシロ!!」と言っていたのを懐かしく思い出す。遠い昔の古戦場は、黄昏の中でひっそりと息を潜めているようだった。



 いにしえの 天下の夢の 古戦場
 官兵衛の 夢も一夜で 露となり
 幼き日 不思議に思った 駅の名は


2015.1.23 友のゴルフデビュー
 新たな正月を迎え、半月あまりが過ぎた。日々の用事にかけまわったり、何だかんだ家の用事をして時が過ぎている。たいした心配ごともなく平穏な日々ではあるが、「たまには一杯やろうか」と同級生たちに声をかけると「いいよ」と話は決まる。
 お互いに近況報告をしながら、いつもどおりに歌を歌って過ごしたが、お互いに暇な時間を有効に使って共通の趣味の場でやることがあればいいなという話してみると、ある一人が結構本気でゴルフを始めようと決意して道具を借りてきて海岸の砂浜で密かに練習をしているという。
 「いいじゃないか」時々いっしょにやろうよ!と誘うと満更でもない。横で聞いている人もしばらくやっていないが俺もやってみるかな?と関心を示す。やはり何かしないといけないかなと誰しも考えているようだ。音楽の話もしてみると楽器はもっているが・・という人もいる。まだまだ何かできるなと嬉しくなった。
 昨日、そのゴルフ志願の仲間と時間を決めて、町内の高台にあるグランドで軽くレッスンをして練習すると少しずつボールがうまく飛ぶようになった。自己流で固めないうちにグリップのことやスタンス、構えスイングの基本を確認した。短い時間だったが、結構コツを掴んで、ドライバーの打ち方、アイアンの使い方、寄せのコツ、パターの打ち方とひととおりを教えてなかなか良い時間が持てた。
 本人も喜んで、少しづつ練習をすることとしているようだ。グリーンデビューは少し暖かくなっての4月にと笑いながら話していた。

   新年も 趣味と遊びの 交流会
   声かけて やってみるかと ゴルフ会
   まず基本 ゴルフ始めた 頃思う

 


2015.1.18 カントリーなレストラン
 先週、仕事で竹田から大分市に抜ける旧肥後街道沿いにカントリー調のログハウスのレストランがあった。ちょうどお昼の時間となり、目に入った「ランチ」の看板とそのログハウスが目に入った。中に入ると薪ストーブがありウエスタンミュージックが流れていた。
 お薦めのレンコン入りハンバーグを注文して、静かに流れるウエスタン音楽に聞き入った。それはウエスタン音楽の中でも最も古典的なジャンルのブルーグラスであった。バンジョーの音が小気味よく軽快に流れ、疲れを癒すには十分な環境となった。
 カウンターの女性にステレオのボリュームを上げてもらい、音楽に酔いしれながら外の景色に目をやるとアメリカの西部開拓時代の映画の一シーンのような錯覚に陥った。食事を終えてコーヒーを飲む頃には薪ストーブの炎を見ながら自然と音楽に合わせ朝でリズムを刻んでいる自分がいた。学生時代の演奏旅行で全国を巡った思い出が蘇った。何も考えずに音楽に没頭した良き時代であった。
 40分ぐらいいただろうか。疲れも取れ、車を運転して大分経由で別府の仕事場所に向かった。



  懐かしの 曲とコーヒー 夢心地
  ストーブの 炎にたどる 若き日々
  昼休憩 心身満腹 肥後街道  ⇒ 昼休憩 心も満ちたり 肥後街道
 


2015.1.1 親睦38ゴルフ会
 ここ数年、辛抱してきたゴルフバックをようやく新調することができた。昨年暮れに熊本のあるゴルフショップを訪れて感じの良いバックが見つかったが、思い悩んでいるところに妻の一言。「そんなに欲しければ買えばいいじゃないの!」と背中をおされた。「どうせお酒を飲んだり、無駄遣いをするのを少し我慢すればいいのだから!」と。
 昨年、田舎で生活するようになり、同級生仲間で定例のコンペを始めた。暮れには忘年会を兼ねて一泊で腕を競った。気のおけない仲間たちとのゴルフに興ずるのは何とも楽しいが、皆上手で話を聞くと、毎日練習をしているという。ゴルフに対する考え方からレベルが違うと感じたところである。
 ここ2年ぐらいで練習の成果もあり、何とか100を切れるようになった。ここで次のステップへ行くのにはモチベーションアップが必要だと考え、今日決断した次第である。昨年から熊本と大分を行き来しながら田舎暮らしをはじめ、よく頑張った自分へのお年玉でもある。さあ、今年は10打ぐらいは縮めて90を切れると良いのだが・・・・・



 腕よりも 道具で高める モチベーション
 懐かしの 同期の仲間の ゴルフ会
 今年こそ 誓の証に バック買い


2014.11.28 阿蘇の火山活動が活発化

 阿蘇の火山活動が活発になっているようだが、つい2週間ほど前に外輪山のミルクロードを通った時は写真のようにヘリコプター遊覧飛行っており、遠くに霞んで見える阿蘇五岳は少し煙が多いかなという感じだった。
 飛び立ったヘリコプターは阿蘇山頂の火口の方へと一気に飛んでいったが、今は一キロ以内は規制され危険と隣り合わせとは嘘のような気がする。今年になって日本の火山が活発化している。最近新潟でも大きな地震があったり、長崎の普賢岳も水蒸気爆発の可能性があるとも報道され、あの木曽の御嶽山の爆発を思い出す。
 自然の力は凄まじいい。予知力を駆使して早く避難することしか方法はない。熊本と大分の行き来も当分は57号線やこのミルク道路は要注意である。



 遊覧飛行の空も今は警戒エリアに!        へリが飛ぶ 今は火山の 灰が飛ぶ

2014.11.8 故郷志向

 人は古来から年を重ねて人生の後半を迎えてくると、故郷に回帰する習性があるような気がする。帰りたくても帰れない人もいるが、敢えてふるさとを捨てて都会生活の便利さに身を委ねる人もいる。人生をどう生きるかはそれぞれの考え方ではあるが、故郷というものが全ての人の心に大きな位置を占めていることは間違いない。
 また、同級生とか同期生と言っいたものにも不思議な力がある。あちこちで還暦同級会とか古希の会などが頻繁に開催されているが、それぞれの人生を生き抜いてふと過去を振り向いてみると、一緒に野山を駆け回って遊んだ遠い日々が懐かしいと思うのはこれまた自然な気持ちであろう。
 そんな懐かしい思い出の舞台が故郷、ふる里、フルサト・・・・なんでしょうね。ふるさとを大事にする人に会うと何だかとても嬉しく感じる。みんなが自らの原点であるふる里に思いを寄せてときどき訪ねて過ぎし日日と清らかな自然に触れてもらうといいなと感じてしまう。



ふるさとは遠くにありておもうもの・・・近くに感じて味わうもの! 遠くに見える両子山がいいですね!


2014.9.23 彼岸花

 朝よりも 伸びたり畦の 曼珠沙華
  

   9月の中旬になると、借りた農園に行く田んぼのあぜ道に、彼岸花の芽が顔を出していたが、その芽が夕方  には少しづつ伸びていた。朝、土の中から顔を出した目の先端に花芽が赤く見えていて、踏んではいけないと   避けて通ったが、夕方にはその先端の赤みが増して背丈も少し伸びていた。
   自然の力はすごい!と感じた。彼岸花は地面の中で確実に時を刻んで顔を出し、昼と夜の長さが同じになる  日を目指して田んぼの畦を破壊絨毯にして埋め尽くす。

   忘れずに 季節を告げる 彼岸花


2014.9.21 田舎暮らしと仲間たち
 ふるさとに拠点を移して1ヶ月半がすぎた。地域にも馴染んで幼馴染の仲間たちも協力してくれるからありがたい。農園を借りて畑仕事も環境整備が整い、10月からは野菜作りが始められそうである。中学の同級生たちとの交流も進んで、あっという間の出来事のように感じられる。
 念願の同級会も楽しく終了することができた。ゴルフの仲間やカラオケの好きなグループとの交流も始まった。個別にアドバイスや支援してくれる仲間にも恵まれて順風ではあるが、あまり甘えていてもいけないと感じている。早く自立して周囲に迷惑をかけないようにと反省する部分もある。
 今日は人間ドックを受けるために熊本に異動。湯布院で一般道に降りてすぐに、真っ黒なイノシシと遭遇。驚いた。自動車が行き交う道端で道路を渡ろうとしていた。仲間からはぐれたのだろうか。単独行動のイノシシなのか?ふと自分に置き換えて考えることがあった。あのイノシシは上手く道路を渡れたのだろうか・・・それとも諦めて仲間のところへ戻ったのか?支えてくれる仲間のところに戻ってこれからは道路を横断するような無茶はしないといいのだが。


2014.7.22
 1ヶ月ほど前に案内された千葉の北総花の丘公園を再び散策。飛行機の旅の疲れなどが蓄積して体が重たい。気分転換に散歩を思いつき、一人で歩いて見た。おぼろげな記憶ではあったが、すぐに目当ての公園にたどり着いた。今は便利である。スマートフォーンを取り出して地図アプリで方向が間違っていないかを見る。
 休暇をとって上京したが、3連休が明けて通勤で駅へ急ぐ人達とすれ違った。公園に入るとすぐに芝生エリアの広い場所にでた。園内は早朝から健康ウォーキングの人たちが思い思いのスタイルで歩いている。午後からの大きな行事が気に掛かりながらも少し気が楽になった。
 今年は梅雨明けが遅くなっていたが、南から順次梅雨明けとなっていく。まもなく関東地方は梅雨明け宣言が出るようで雲の切れ目の空は青かった。何故かこの時期に公園の一角にコスモスの花が咲いていて心を癒してくれた。
 
  夏を待つ 心は揺れて 花畑
  コスモスや 夏に咲いても すまし顔


2014.5.3  ご対面!
 ゴールデンウイークで、息子たち家族が初孫たちを連れて初めての墓参りをしてくれた。朝、熊本を出発して昼過ぎに大分のわが故郷の家に到着。母も今回熊本から遠路はるばる初孫と二番目の孫との同時対面でそわそわしていたが、裏で車の到着した音がしてしばらくして初孫が先頭に立って元気よく到着の声を発した。
 私もひ孫と母がどんな対面になるかと少し心配していたが、一瞬びっくりしたような顔をした初孫に「良く帰ったな」と声をかけて母が差し出したビスケットの箱を恐る恐る手を出して受け取った初孫は勢いよく靴を脱ぎ家の長い廊下を走って遊び始めた。
 こうして、無事円満に初対面のご対面が終わって、墓参りもすませた我が家は母とひ孫の会話も弾んでにぎやかな時間が経過した。

 初孫が 覚えた言葉 おお祖母ちゃん
 初対面 縁を取り持つ ビスケット
 飛び跳ねる 初孫見守る 恵比寿顔



2014.3.23 彼春のお彼岸
 彼岸のお中日は過ぎたがふるさとは穏やかな春の陽気につつまれて、一人暮らしの母がハナミズキの木を買って来て庭に植えると言う。思い立ったら吉日で、早速近くのホームセンターに出かけてみた。ハナミズキの花言葉は「返礼」だと母が言う。テレビの報道かなにかで知ったようだが、日本からアメリカに桜の木を贈ったお返しにもらったのが、「ハナミズキ」の木だという。
 せっかく植えるなら、私は別に「花桃」の木を買った。父の退職記念の八重桜の隣が少し空いていたのでピンクの「矢口の花桃」を植えた。来年の春が楽しみだねと母が言う。まだ木が小さいので来年咲くだろうか?少し心配になりながらも思わぬ植樹の一日となった。

  記念樹の 脇を固める 春苗木
 


2013.11.11
 私の九州横断ロードはすっかり秋模様となった。一人暮らしの母親の様子も気になり、土日を使って故郷の実家に顔を出した。帰りの日曜日は雨模様となったが、それがかえって心の癒しとなっていつもの道が新鮮に感じるからハンドルも軽く長い道のりも苦にはならなかった。
 そしてまた、久しぶりに学生時代に良く聞いたサウンドトラック版のミュージックテープを聞きながら数々の思い出と音楽のメロディとリズムが重なって心豊かな気分に浸ることができた。忘れていた音楽の虫が目を覚まし、ギターをフューチャーした音楽構成の曲が多かったが、バックに流れるストリングス、テナーサックのきれいなメロディー、軽快なリズムを刻むパーカッションに酔いしれた。
 3時間を越えるドライブとなるので、途中時々車を止めて休憩をとったが、九重町の宝泉寺温泉から川底温泉の界隈は紅葉も進み、赤や黄色に染まったの里山の風景が感受性が高揚した私の心に溶け込んでいくような気分になり、幸せな時間を過ごすことができた。



 里帰り もみじロードの 雨楽し
 懐かしの サウンド浴びて 温泉郷
 
 豊の国 肥後の国との 定期便 四季折々の 里路楽しむ (^^♪ 



2013.10.27
 東京の丸の内界隈も大きく様変わりし、高層ビルが立ち並んで夜景も以前に増してきれいになった。東京駅もリニューアルして大きな存在感を示していた。


  丸の内 夜景に心も 丸くなり
  リニューアル 歴史を刻んで 明日を見る


2013.9.24
 別府湾に浮かぶ高崎山はくっきりと夕日のきれいなシルエットを描いて我々を迎えてくれた。こうしてまじかに別府湾と高崎山を見ることもほとんどなかったなと思いつつも、50年の月日の流れを感じながら、同部屋となった同級生と宴会前の時間で早くもビールで乾杯して心地よいくつろぎの時間を過ごした。

 宴会は40名弱のメンバーが集まり、にぎやかな交流会となった。今回の企画は小学生の時の修学旅行を思い出し、同期の仲間たちとシルバー修学旅行をやって、大きな節目のイベントとして計画したが、新たに懐かし顔を見せてくれた仲間が数人いたことは大変嬉しいことであった。
 思い出の別府温泉に浸かった翌日は有意義な学習の旅となった。別府から安心院へ向かい、ワイン工場そや鏝絵の町を散策したり、それぞれにまた新たな思い出づくりができた。 

 天高く シルバー修学 旅行かな
 秋の日の 安心院の旅の 風さやか






 2013.6.9
  一日休暇がとれたので、金曜日から3日間で九州を横断しての里帰りを思い立ち、せっかくの機会なので地元の同級生たちと久し振りに交流を図る事ができた。楽しい出会いと新たな企画で盛り上がった。今回は普段出てこない人が参加してくれいつもとは少し違った雰囲気で楽しい会合となった。
 そんな余韻に浸りながら熊本へ向かう帰り道、菊池の手前付近で道路横の土手に綺麗に手入れされた「あじさい」が咲き並んでいた。思わす車を止めてパチリ。一枚、二枚、三枚とカメラに収めながら小雨に打たれるこの花ならではの美しさに小さな感動を覚えた。
 道行く人に何を語るわけでもなく、静かにたたずむあじさいも素晴らしかったが、綺麗に手入れをしてこうした環境を提供してくれている見知らぬ人の心遣いを感じて嬉しくなった。

   目をとめて 車を止めて 梅雨の花
   あじさいや 綺麗に並んで はいチーズ

   


 2013.5.12
 人生、頑張ってみればそれなりに楽しいものである。世の中、常に難しい出来事はつきものであるが、楽しんで前に進んでみれば、苦しい事も辛い経験も乗り越えられる。そして過ぎてみれば良き思い出となり自分の成長の糧となっているような気がする。
 この4月からは我が第三のステージが始まった。今、新しい仕事にチャレンジして若干の戸惑いがあるものの、なりふり構わずまず、すべてが勉強だと言い聞かせながら身を投じて踏み込んで行くうちに、面白いように流れが見えてくるから不思議である。ただ、分野は異なっても、組織の中で起こるいろんな事に対してはこれまでの経験が役に立つ。人間関係の対応も同じである。
 「年の功」は捨てたものじゃないなとにんまりすることもある。ただ、肩書きを捨て、プライドを捨て、組織の一員としての動きが出来るかどうかは大事なことだなと感じている。汗をかきながら、失敗を重ねながらも慎重に次の一手を冷静に考えるのが大切である。納得を生み出しつつ良い仕事ができて、やり甲斐となっている。

  ステージが 変われど味方は 年の功      パソコンで 関数使って できる人 
  人は見る こいつ本気か 手を抜くか       したくない 仕事を受けても チャンスにし
  やって見せ 労を惜しまず 成果取る       人生は 幾つになっても 挑戦者
  


 2012.11.16 遊びも阿吽の呼吸で!
  以前に単身赴任の時の職場で一緒に仕事した後輩が昨年退職して私の働いている職場のグループ会社で第二の仕事で着任しているが、「明日ゴルフに行きませんか?」と急な話を持ってきた。「良いね!」と二つ返事で事が決まる。しかし、それからが大変であるが、遊びの話ならどんどん前に進むから楽しい。「じゃあ4人集めよう!」となる。
 仕事でも遊びでもできる人?は実行力がある。事を為すと言うことは何でも同じ。無理を言える友をいかに沢山持っているかと言うことも勝負である。普段からの付き合いも大切だということになる。
 そんな訳で、4人が揃い阿蘇方面でのゴルフとなった。最高の天気に恵まれて、お互いに「普段の行いが良いから」と冗談が飛び出す。そんな楽しい仲間でも良いスコアで気分良くプレーをしたいものだが、好不調はつきもの。運不運もある。だからプレーがまた楽しいものとなる。
 この日は朝から霜が降りてグリーンが固く、転がり過ぎの感があり、みんなパットで苦戦した。休暇をとって最高の天気に恵まれて、気分は爽快!しかし、グリーン上では転がりすぎが仇となり、スリーパットを連発。そして仲間の一人が名言を吐いた。「天気は良いが、気分が悪い!」と・・・・これを聞いて他の3人が笑い転げた。
まさにスコアをイマイチだったが、舌戦もからんでの楽しい一日だった。プレーのあとの温泉もしっかりと心をほぐしてくれた。

   天気良し スコアと気分が 今一つ

 2012.10.28
 阿蘇のミルクロードを車で走ると、秋の日差しが西に傾き、辺り一面にススキの穂が風にゆれていた。故郷の母の元気な様子を見ての帰りで、ほっとした気持ちも手伝ってカーステレオのサウンドトラック盤の懐かしのメロディーに酔いしれていた。
 この秋、資格にチャレンジしたり、大きな会合の幹事の大役をこなしたり、仕事の方も一区切りできたりした充実感もあり、ススキの長い広がりが銀色に輝いて見えた。車の正面に夕日が重なって、ススキの穂がきらきらと金色に輝いて揺れていた。

  こがね色 阿蘇の夕日の 野のススキ

 2012.9.23
 生涯学習の仲間達で企画した「水辺の絵手紙スケッチ大会」に思った以上の人が参加してくれ、成功裏に終えることができてほっとした。私も久し振りに夢中になって2枚のはがきに景色を切り取って作品を完成させた。準備でメンバーそれぞれ苦労を下が、昨年から始めたボランティアとしてのこの活動もすこしづつ成果がでてきているようである。



  小春日や  絵心燃えて 我を知る
  キャンバスに 秋の日差しの 色落とす

 2012.6.17
  今日は父の日、ゴルフ場から変えてくると結婚した息子がプレゼントを届けてくれた。そのあと、買い物から帰ってきた娘が「はい、父の日のプレゼントだよ」と手提げの紙袋を手渡してくれた。すっかり頭になかったが「そうか、今日は父の日か・・・」。二人からの贈り物はこれからの暑い夏にぴったりの甚兵衛風のパジャマと通勤用のクールビズのおしゃれなシャツだった。
 早速身につけてみた。子供達が親にプレゼントするようになったのかと思いながら、少しくすぐったいような気持ちで鏡の前に立って見た。「良く似合っているな!」と思った瞬間に鏡の中の人物がニコリと笑った。

  父の日や 子らのギフトに 照れ笑い    
  プレゼント 身につけ鏡に ポーズとり
  父の日に 子供の成長 受け止める



 2012.4.30
  先日、仕事で久し振りに五木の里へ行く機会があった。新緑が目にしみる五月晴れで空気も澄んでいた。そして、一度足を運んでみたいと思っていた平家の里「五家の荘」にも行くことができた。
 五家荘(ごかのしょう)は、八代市の宮原、東陽を抜けた山あい九州山脈中心部に位置、九州の最後の秘境 とも言われている。落人伝説の集落が五つあったということから名付けられたとも言う。 宮崎県の椎葉村、椎葉村とも隣接している。歴史を感じながらの静かな時間を過ごした。

  狭き路 新緑そそぐ 五家荘      五木そば すすりて若葉の 風光る


 2012.1.6
 新年早々だが、休暇をとって、4連休を楽しむこととした。今までゆとりの時間を過ごしたいと思いつつもなかなか自分のためにくつろいだ時間をもったことがあまりない。「忙中閑あり」も良いが現役を引退して少しづつゆとりを楽しむコツがつかめてきたような気がする。

  時があり 趣味がありて 意味がある      新年の 日差しに遊ぶ 休暇かな

 2011.9.19
 今月の中秋の名月の日、12日に私にも初孫が誕生した。ついに「おじいちゃん」になった。しかし、自分たちが子供をもうけた時のように近くに赤ちゃんがいない。病院にいって顔を見た時には誰に似ているのかな等と思うだけて、まだ実感が湧かないしまだ夢の中にいるような気分である。
 息子がメールで送ってくれた孫の写真を携帯の待ち受け画面に入れて見ているうちに少しづつ心が動いていく気がする。

    初体験 待ち受け画面に 孫の顔      携帯を 開けば孫と ご対面  


2011.7.22
 時々、ゴルフに誘っていただいている先輩がなんと「ホールインワン」を達成し、記念ゴルフ大会と祝賀会をやるということで声をかけて頂いた。すべての仕事を辞められて、今は悠々自適のセカンドライフを楽しんで月に数回のゴルフを楽しんでおられるようだ。練習場に通うのが日課という。そんな努力の甲斐あってホールインワンを達成!素晴らしい事である。約20名近くの人たちで楽しい祝宴が開催され、その場でゴルフの表彰も・・・・私は運良くラッキーセブン賞をいただいた。 


会場入り口には祝賀会の案内


福岡からの後輩が花束を贈呈


和やかに歓談するOB仲間たち

      花束に ほころぶ笑顔の 快挙かな     誰もみな 次は俺だと ビールつぎ
      

 2011.6.26
 四国の石鎚山に登ろうと友人からの誘いがあり、計画していたが、他方で単身赴任時代の懐かしい仲間達から数年ぶりに当時のメンバーで単身赴任者の卒業生の会なるものをやると案内が舞い込んだ。当時同じ地域での異業種ながら転勤族たちの楽しい交流が思い出される。今回は山登りはやめにして、 宮崎で開催される「単身赴任者たちの卒業生の会合」に参加することとした。ほとんどの人がすでにセカンドライフを満喫しており、私の願うスローライフの参考にもなりそうである。ゴルフもやるとのことでこれも楽しみである。
        
       山もよし ゴルフにまた良し 迷う日々     日程が 重なり迷う 嬉しさや
   

 2011.3.16
 思いも寄らぬ大災害となった東北・関東大震災。地震もさることながら津波の脅威に驚くばかりである。被害があまりにも広域にわたることから救援活動もままならない状況に併せ、避難された人々も道路が寸断されて動けない・・・なんとも大変な事になったもので、自然の猛威に人間の力の無力さを痛感する。
 そんな暗い気持ちで過ごす日々に、「庭先の木で鳴く鶯の声に救われた思いをし、ふと目を落とすと蕗の薹が顔を出している」という・・・そんな話しを聞き、私も心のもやもやが晴れ、春の足音が聞こえて来そうな様子がうかがえて明るい気持ちになれた。
 残酷な自然の仕打ちと対比して、我々を優しく包み込んでくれる穏やかな自然の顔がある。いにしえの世から、良きも悪しくも、人は自然と共に生きてきたということかと感じさせられ、どうにもならない大きな力の中で生かされているということを、つくづくと感じさせられた話しである。

  震災を 知るや鶯 美声かな
  我が庭に 鶯鳴きて 蕗の薹

 2010.10.17
 秋の風が心地よい今日この頃。ようやく私の今年のチャレンジも終わり、すこし成長を実感した。やはり物事にチャレンジすることが良い結果を導いてくれるようである。この一年努力したことが昨年よりも良い結果で現れた。苦労をした分だけ問題点が見えてきた。反省も多く課題が明確になった。そして物の見え方が広がった気がしている。「気づき」という布で曇りガラスをふいてみると外の景色がよく見える・・・・そんなことが時々ありますね!これで少しは納得してまた一歩踏み出して前へ歩けそうである。
 今日は恒例の私のイベントを終えて、ある大学の裏手の道を歩きながら、また来年の目標を定めてリフレッシュできた。道ばたの草花が秋を教えてくれた。空も白い雲も心地よく風を受け止めてどーんと、細い静かな道の先に見える山の上に横たわっていた。

  秋がいい 花々がいい 空がいい

2010.8.5
あんなにきつかった富士登山だったが、登るときはまだ少々「ゆとり」があたようだ。
6合目から7合目あたりだろうと思うが、登山道の脇に咲く、高山植物が目に入りシャッターを切った。もっといろんな草花も写真に収めて来ようと思ったが花らしきものはこの一枚だけだった。

富士登山 登りはカメラの余裕あり
踏みしめる 岩場にひっそり 花一輪

            7月23日富士山の登山道にて撮影

念願の富士の山はここにあり 還暦過ぎた仲間集いて
憧れの富士は厳しく雲まとい 風の隙間に頂き見せん
 

 2010.6.21
  先日、2年ぶりに五木の里に仕事で出かけた。初夏の山々は緑の癒しの空間であった
。山深い村ではあるが、なぜか愛着を覚える山里である。

    懐かしの曲にハンドル握りしめ 初夏の五木の風になりけり 
 
 
  子守歌で有名な五木の里は、この頃はダム建設の問題で大きな話題となっている。いろいろな人々の思いを乗せて歴史の彼方から緑の風が吹いてきて私の心をくすぐって過ぎて行った。

時が経ち ダムは幻 子守歌

  2009.10.18
 家の近くに湧水公園があるが、朝夕ランニングやウオーキングには最高の季節となった。多くの人たちが黙々と走り込んだりストレッチをやったり思い思いのスタイルで健康管理に心がけている。
 先日健康診断で「これから冬に向けて体を動かしてダイエットすると良い」 と言われた事が耳に残っている。夏場は汗をかいて水分を出して痩せる。しかし冬場は脂肪を燃やしてエネルギーの放出効果が大きいと言う。健康管理もチャレンジ精神で継続が大事だと思う。
 今日一時間ほど街を散策しながら、何にでもチャレンジしていく気持ちが年を重ねても大切なことだと改めて気づかされた。そしてひと味違う路地裏の新鮮さも感じた。

  秋風や 心がきらきら 揺らぐ街
  遠回り 路地裏に咲く 花一輪


 2009.5.13
 久し振りに仕事で遠出をした。今日の行き先は阿蘇方面。それも大分県境に近い産山である。五月晴れと言うよりはもう初夏の陽射しであったが、高原のために爽やかな風が吹いていて、昼食で訪れた牧場のレストランからは遠くに阿蘇の山々がくっきり綺麗なシルエットを浮かべていた。
 昼食の後、午後の仕事をスムーズに進めるために書類に目を通しながら飲んだアイスコーヒーは運転で疲れた体を鎮めてくれた。窓からの景色はまさに絶景で心が癒される思いであった。

  帰りに車の中で一句・・・・・

          「 外輪山 眼下に田ごとの 水鏡 」   もう阿蘇も田植えの時期であった。

 2009.4.20
 母の付き添いで、田舎の菩提寺で法然の生誕800年があと2年後ということで関連の法要があり参加した。昔はあまり理解を示す気にもならなかったが、良い勉強の機会になった。ほとんどが高齢者の集まりであったが、こうした状況も参加してみないとわからないものである。いろいろと考えさせられることが多かった。
 ついでにお墓参りも済ませ、掃除もしてきた。

   葉桜を くぐりてお参り ホーホケキョ

   葉桜や 母に付き添い 墓参り  寺の読経に 鶯鳴きたり


 2009.2.22   俳句は感動のタイムカプセルである!

 如月も半ば。一週間の疲れが心地よい朝の寝覚めとなる日曜日。仕事に行かなくて良いから嬉しいのは年を重ねても同じ。明日は働く日とわかっているから今日のこのゆとりが大切な時間である。
 ベットに横たわったままにテレビのスイッチを入れると朝の短歌の番組をやっていた。「雪解け」をテーマにした歌が紹介されていた。そのあとすぐに俳句の番組が続いたが選者のコメントがいずれも素晴らしかった。詠み人の心を受け止めその感動を更に高めて引き出すからすごい。コメントは言葉。その言葉が更に広がりを創り視聴者の理解と感動を高めていく。心が豊かになる。文芸に妙である。
 脳科学者の選者との掛け合いの中でゲストの茂木健一郎さんが「俳句は感動のタイムカプセル」と言った。なるほどと感心させられた。人を感動させ納得させる表現があるのだということを改めて教えられた。
 いろんな事に感動し、詩歌をたしなむのもいいことだと想い嬉しくなった。

   感動が 脳を説得 また感動!
   感動は 魔法の言葉で より高く
   納得を 呼び込む言葉に 今日出会い  

2008.11.18
               夢がある やりたいことが ある世代 


 ゆとり・・・とはどこから来るのだろうか?と思ったことがある。退職をして、時間ができても「ゆとりの時間」はそう多くはない気がする。心が満ち足りると言うことは、時間とは関係なさそうだ。趣味に生きるひとは輝いて見える。誰しも輝きたい!いきいきとした表情を持ちたいと願う。何が違うのか・・・・ふとそんな疑問にとらわれていた時に、趣味で模型の船を造る人に出会った。話を聞いていても楽しそうでうらやましいと思った。彼は一ヶ月あまり入院をしてまだ体調は十分でないようだが、船の話や材料を集めにホームセンターに出かける事を楽しそうに話してくれる。そんな時に「ゆとり」を感じてはっとした。何が大切か少しわかった気がした。

      団塊の 人はそれぞれ 趣味の人         趣味があり ゆとりがありて 人の味

 2008.11.4
 先月の末、仕事で天草を訪れ、その合間で「5足の靴」の記念碑に出会ったことは、久し振りに私の心が大きく揺れた。与謝野鉄幹、北原白秋ら明治の文学の巨星たち5人が大きく羽ばたいた天草の旅だったようだ。
 志に燃えた若き日の5人は長崎から天草に渡り、陸路を下田から大江へとその足跡を残している。大江天主堂での宣教師との出会いは大きな衝撃を与えたと記録されている。このあと、5人は大きく羽ばたいて新しい文学の時代を築いた。彼らが新たな文学の世界に夢を馳せ、酒を酌み交わして朝が白むまで語り明かしたのだろうと思うと何だか胸がわくわくしてくる。

       革新の 文学の世を 語り合い 五足の夢の 朝白むまで
2008.9.2
 今日、仕事の帰りに、本屋に立ち寄ってみた。資格試験のコーナでもと思い自動ドアをくぐったが、入り口付近には、いろんなタイトルの本が並び目移りがする。自分がもし本を書けたら・・・そして店頭に自分が著者の本が並んだら・・・とふと思ってしまった。すぐにそんな妄想を消し込んで棚を見ていると「猫川柳」という本が目に入った。ペットと川柳も面白い!と感じた。この本案外売れるかもね?と思いながら時計を見ると帰りの電車の時間が迫っていた。資格試験の本はまた今度にして家路を急いだ。
 今日はまた特に蒸し暑い。家でシャワーを浴びてこの2、3日我慢していたビールをグイーと飲んだ疲れがさっと吹っ飛んで幸せになった。

   ああ旨い 今日が終わって 命水
   幸せを コップに注いで 飲み干した
   一日を 一生懸命 今日が行く
 2008.7.12
 ずいぶん長い間、このコーナーから遠ざかっていたが、退職して時間的な余裕も心の余裕も持てるようになったので、また思いつくままに川柳が作れるといいなと思う。単身赴任で頑張っている世のお父さん方に今後もエールを送りたいと思います。
 時々、熊本と大分を車で往復していますが、時間の余裕ができて、気ままに温泉で道草をくって帰ることも多くなりました。時間の使い方が違ってきましたが、なぜこれが今までできなかったのか?最近では気になったことは思い切ってその場ですぐにやれるようになってびっくりしています。

  肩の荷を おろして味わう 気まま旅
  車留め 時間を止めて 湯の煙
  露天風呂 流れる雲に 時忘れ
 
2005.3.14
 大河ドラマの「義経」を見て熊本を出発したのは21時を回っていた。もうお彼岸も近いというのに雪の舞う一日だった。山間部は雪が積もるという天気予報であったが、高速道路はまだつもってはいなかった。それにしても任地へ移動する日曜日の夜はむなしさが残る。いつまでこうした生活が続くのかという思いが頭をかすめる。「さあ!出発だ。」と気合いを入れて家を出る。夜の高速道路は雪が舞っていた。リチャードグレイダーマンの曲を聴きながら宮崎県に入ったのは11時過ぎた。車を運転しながらいろんなことが頭をかすめた。考えても仕方がないと気を取り直しハンドルを握った。
 明日の仕事の準備をしながら夜の12時が過ぎた。新しい一週間が始まる。頑張らないとと気持ちを整理してパソコンに向かう。まだ寒い一人の部屋にストーブの上に乗ったやかんが勢いよく音を立てて湯気を上げている。学生時代を思い出した。

  週末の 我が家の温もり 持ってきた。
  単身の 寒き宿にも ある安堵
 
2004.10.7
 先日、日赤病院での妻の持病の定期検査の予約につきあった。朝早くおきて受付に行ったが、こんなに病気の人が多いのかとビックリ。待合室には人の山であった。検査のための予約なのに、順番が回ってきたのはなんと午後1時過ぎだった。私は時間をもてあまして病院の中をウロウロ。しかし、最近の病院のロビーはホテル並み。そしてちょっとしたショッピングセンターである。本を買ってコーヒーを飲んで時間をつぶしたが、医者にかかるのにこんなに大変だとは思わなかった。

   朝一番に 受付、診察 午後一番
   医療費も 高いはずだよ このロビ


 ウロウロしているときに、テレビで野球のストライキの話をしていたが、ふと思いついたのがこの川柳。

   野球界 たかが選手で ストライキ
2004.4.3
 また、新しい年度がスタートした。人事異動で転勤する人、新たにやって来る人、思いは様々である。地域の各企業や官公庁でも異動があり、送別会や歓迎会ばやりである。この地域でも単身赴任の人が多い。当市にユニークな「チョンガーの会」なるものがあり、ある人の送別会を来週やるということで案内があった。参加することとしているが、以前作った川柳を思い出した。

   人事異動 紙一枚の ドラマかな
   淡々と 行く人来る人 残る人

 人それぞれ、いろんなドラマを演出しながら頑張っている。みんな家族のために懸命に働いている。「世のお父さん方は偉い!」と本当に心から叫びたい思いである。
2004.2.25

 今年もサラリーマン川柳の100首が決定した。これから一票投票でベストテン選びがはじまる。今年は私も参加したので、主催者から案内のメールが入っていた。100首の中に私の作品は入っていなかったのではずれたようである。

  もしかして! 二度三度見て 名前なし
  選ぶ人 見る目がないよと 慰めて
  選考句 さすがさすがと 納得し

 その選考句の配信されたものを紹介いたしましょう!!

 
ゴキブリが 出た時だけは お父さん        月下人      別腹は 何段目かと 子に聞かれ          ハンニャ
子の仕草 叱って気付く 我の癖             気付カン子 夢を見る ノーベル賞より 子の百点      常ならず  
子が描いた ママの顔には 眉がない      晴耕雨読 カーナビに 抜け道自慢 する親父        磯仁
     第一生命のサラリーマン川柳より。

2003.9.19
 中学校の同級会があり、40年ぶりに会う友も多く、名前と顔が一致しないで困った。40年も経つとずいぶん変わるものだが、中には昔のままですぐわかる人もいる。白髪や頭の様子ずいぶん変化した人もいた。楽しく過ごさせていただいたが、亡くなった人もいて黙祷を捧げた。亡き恩師、亡きともに「あなた達の分も頑張るよ!・・・」と祈った。つらい1分間だった。

40年 顔と名札を 見比べて 名簿見て 昔をたどる 同級会 懐かしき 面影残す 友の顔
40年 世話役やはり 女性軍 ときめきの 紳士淑女も 白髪に あの人は 誰と聞き合う 酒の宴
それぞれの 思いを胸に 40年 年重ね  孫の話に 弾む顔 あちこちで 思い出話の 大合唱
同級会 思わぬ人が リード役 黙祷で まぶたに映す 友の顔          名簿見て 死亡の文字に 心揺れ
出たくとも 出れない友の 無念さや 酒をつぐ 笑顔に昔を 思い出し 青春の 清き思い出 よみがえり
 「一夜明け 思い出胸に 高速道」・・・ 車の中でも昨夜の楽しい時間に浸っている自分を発見しました。  
 日頃の単身赴任の寂しさを吹き飛ばす楽しい会でした。ありがとう!4年後の「還暦の会」を楽しみにしています。
2003.7.15
 人事の内命を受けたときは、「小林?また宮崎か!」と思ってしまた。一週間であわただしく引っ越しの準備をしたが、夏の暑い時期に入って、年のせいもあり、疲れがたまってしまった。長男が4月に東京就職したため、引っ越しの応援は妻と娘。発令があり、職場内をあいさつしてまわり、昼には荷物をトラックにつんで出発。トラックを送り出した後、部屋の掃除を済ませて2年間過ごした福岡の宿をあとにした。
  
   引っ越しの 手際の良さは 熟練工      寂しさを 残して宿を あとにする
   妻よりも 娘が頼りの 積みおろし       引っ越しは 犬猫あずけて 大仕事
   年かさね 力がでないと 妻の言う       単身の 解消できずに また単身 
2003.4..9
 久しぶりの休暇、午前中耳の治療で病院へ行き、午後は洗濯や掃除を済ませて、ベランダで日光浴をしながらコーヒータイムとしゃれこんだ。布団もほしたが、3時過ぎには急に曇って来て、少し雨がぱらついた。
 病院の帰りに福岡城趾公園をの中を抜けて帰って来たが、すでに桜の花が散りはじめていたが、まだかなり桜は残ってていた。特に八重桜はまだこれからという感じのものもあり、今週末までは花見ができそうであった。園内では、昼間から花見の宴のグループもあったし、二人の老女が桜の花びらの舞う中、楽しそうに絵を無心に描いていた。日本は平和だとつくづく感じてわが宿舎についた。
 
   日溜まりで 絵を描く人や 花吹雪

 今年の桜について、いろんな場面で5.7.5が生まれた。掲示板にも書き込んでいるが、整理をして見た。
行くところ 桜さくらの 花便り 花見れど きれいさわからぬ 酔っぱらい
はや満開 バスの窓から 花見かな 焼酎に 花びら落ちて 夢を飲む 
高速道 桜のないとこ なかりけり 散る桜 人それぞれに 思う春
疲れ取る アフターファイブの 桜かな 花びらを 浮かべて川面に 絵画展
飲み仲間 今日は静かに 花の宴 散るとまた 川もを彩る 花絨毯
居酒屋と 勝手が違うと 花見上げ 葉桜の 間で頑張る 八重桜
花咲けど 父さん留守番 猫の世話 筆を持つ  老女が二人 花の下
花見とは 酒飲む口実 サラリーマン 国を越え 桜で心は グローバル
2003.2.19   サラリーマン川柳より
  ある生命保険会社が第16回目の「サラリーマン川柳コンクール」でに入選作を発表した。新聞に掲載された作品を紹介します。ど

れも笑いを誘う楽しい作品です。「川柳は本当にいいもんですね!」 
ついに来た 俺も週休 7日制 田中さん 選んだ人に ノーベル賞
接待費 削られ上司 健康に オーイお茶 次の言葉は 入ったぞ
サンタさん 今年は父に 職あげて 健康に 良いもの全部 食べて肥え 
上司ども パソコンみないで 現場みろ 目の前の 部下にメールで 指示を出し 


2003.1.1 謹賀新年 また新たなお正月を迎えました。                                     今年も「単身王国」、頑張って川柳をどんどん作っていきたいと思います。              
 
 単身赴任も連続6年目に入ろうとしている。宮崎時代のメモを見ると当時の川柳がいくつか目に止まった。
 ・夜明け前 心配そうに 送る妻  ・花の色 寂しき心の 穴を埋め
 ・なつかしき カントリーを聞く 宿舎  ・週末を 過ごして再び 高速道 
 ・お父さん  いつ帰るのと 聞く娘  ・暁の 月と一緒に 高速道
 ・単身で  やさしくなった 子供たち  ・いつの日も 夢を支えに 心燃え
 ・気をつけてと 車をのぞく 妻の顔  ・帰る日が 必ず来ると 言い聞かせ

    単身赴任に慣れない頃の川柳を見て、がむしゃらに頑張った気持ちが蘇ってくる。今ではなつかしい気がする。最近では少しゆとりの境地で、川柳にも余裕ができたようだ。5・7・5の17文字にその時々の気持ちが込められ、良く伝わってくるものである。

 

2002.6.9
  ゆとりの5.7.5といきたいところですが、慣れない土地で懸命に頑張った思い出がよみがえってきます。今は健康で日々過ごせることに感謝しつつ、心の中をなるべく素直に表現することで気持ちが楽になるような気がします。
 元気になるような「ゆとりの5.7.5」をどしどし掲示板にお送りください。


                                                                                 

初めてのセールスマネジャーとして宮崎へ単身赴任。気持ちばかりが先行し日々の営業推進に喜んだり、悔しがったり。今ではなつかしい思い出となりました。


                                                                            

単身赴任の宿舎で過ごす冬の週末。さみしさを紛らすために植えた金盞花が窓の外でゆれている。今頃子供たちはどうしているのかと・・・


                                                                        

週末を我が家で過ごしての月曜日。高速を2時間とばせば、職場の始業時間に間に合う。まだ暗いうちに早起きをして見送 ってくれる妻に、車の中から「ありがとう。頑張ってくるよ」と・・・単身赴任の切なさを振り切ってアクセルを踏む。


                                                                         

早朝のまだ暗い高速道路。いつもと同じ繰り返し。運転しながら空をあおぐ。しらじらと次第に明ける空に月が光を放っている。 「お月さん、すっかり顔なじみだね」と心の中でつぶやいて見る。

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