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単身(丹心)王国王様の部屋へ


王様のひとりごと



 人生、人それぞれに想いを抱き、道を探して歩き続ける。苦しいとき 助けてくれた言葉あり・・・5.7.5は心の叫び、人生のうた!
  単身赴任の思い出も今は懐かしい夢の世界!過去があって今がある。これからの人生はのんびりゆっくり心の赴くままに・・・・・「丹心生活」

・・・・そしてまた新たな夢の世界へ!そんな思いの心のメッセージ・・・・




2021.9.14 治療通院に思う
 先月退院して、今日は通院。新たな点滴治療で2サイクル目の日。毎週2回の点滴の様子も分かり、この日に合わせた生活リズムが少し身についた感じである。健康のありがたさは大きな病気をして知ることとなったが、後期高齢者の医療費の世代間負担で政治は後期高齢者の2割負担を決めた。若い世代への配慮もあるが、やはり医療費削減のためには健康寿命を延ばす努力が必要だなと最近つくづく考えている。
 日本の医療保険制度はしっかりとしてありがたいし、医療体制もしっかりと維持され、新薬を導入しての治療体制も充実。昔では手に負えない難病も医学の進歩で病状を抑えて若干の副作用等を我慢すれば、大病を患ってもほとんどの人が日常生活を普通に過ごすことが出来るからありがたい。 しかし、高額な薬を投与して治療を続けるわけだから、人によっては出費が大変である。健康な人には、この辺のところが健康な人、医者に欠かたことがない人にはあまり理解されていないように思う。
 ライン仲間で意見交換をすると人それぞれで思いは違う。同じ境遇にある人は「いいね」を多発する。何事もこうしたものかもしれないが、総論としては皆理解をしているようである。
 健康保険制度についても、国民健康保険に変わってみて分かることが多い。働きながらこれまで維持してきた相互扶助の素晴らしさやありがたさも最近感じている。こんなに医療費にお金が掛かるなら、これは会社組織にしてでももう一度健康保険組合の運営の保険に加入したぐらいである。特に大病を患って、治療を続ける人の高額医療費で限度額を申請して頭打ちにしてみても、今度は所得区分でランクが一つあがれば、結構大変な状況になる。この時に、掛かる費用の額に驚くこともさる事ながら、介護保険料も健康保険の掛金も上がっている。多分、市民税等にも反映されるので毎年の確定申告では所得の動きも注意である。
 何はともあれ、多少お金はかかっても元気で日々を過ごせることにまず感謝。コロナ下での医療従事者の人たちの日々の努力にも心から敬意を表し、日常医療の体制にもしわ寄せが行かないように良い仕組みを考えてもらいたいものだと願っている。



2021.9.11 時代の流れと新たな試練に・・・・
 あれから20年。随分と時間が流れたものである。家族を熊本に残して福岡県の筑豊地域での単身赴任の時であったと思う。夜、ふと目が覚めてふとテレビをつけるとアメリカのビルに飛行機が突っ込んでもくもくと黒鉛が上がっていた。一体何が起こったのかとすぐにはガテンが行かなかった事を覚えている。
 世の中はガラリと変わって、今はコロナ禍での闘いが繰り広げられている。20年前のあのテロ事件にも大きなショックがあったが、今のこのコロナのまん延での世界的な危機感はまた全く異なるものであるが、人類の大きな転機へとその影を落としている。今までの暮らしぶり、生き方、価値観をガラリと変えてしまうことになる。すでにわれわれの生活様式も大きく変化した。
 これまでの常識が大きく変わってきてしまったような気がしている。地球温暖化の問題と併せてもう一度原点に返って、自然との共生を考えていかなければならないと思う。地球上の人口も増え、この地球の中で多くの生き物たちが、バランスよく生きて生態系を維持していく環境を見直していかなけれがならないという時期に来ているように思う。
 自然災害もそうした地球環境のバランスが崩れて悲鳴をあげているのではないかとさえ思う。ここで立ち止まって、全ての事を見直していく必要がありそうである。新たな生活様式を求められているが、人類は果たして価値の転換をやり遂げられるのか!・・・まだまだ、このコロナの感染拡大は収まらないにではない。人類にこの危機を乗り越える叡智が求められるが、アフガンの問題、中東の歴史的課題は見通しがつかない。アメリカ、中国、ソ連の争いも混沌としてきた。日本の政治も混乱している。
 さて、人類は新しい未来を切り開くことができるのだろうか。


2020.7.21  アクティブシニアから次のステップへ

 我がなるみ会の仲間たちは元気で、まさに今、アクティブシニアの時代を謳歌している。それぞれにやるべき事をしっかりとこなしていると思う。ところで、今のシニア層は健康面でも踏み込んで管理し、維持しているが、その次のステップはあまり強くイメージされてないように思う。セカンドライフはまあまあだが、サードライフのことはまだ先のこととしている人が多い。親の介護に直面している割には、その延長線上に自分をおいて考えることはまだ先のこととしているようにも思える。人間の脳は先々不安なことはガードするようにできているようだ。
 時々、夫婦間で体の衰えや物忘れが多くなり、考えられない失態もあるが笑い話で済ませてしまっている。「ああ困ったもんだな。仕方がないな」と済ませているが、心の底では、このままでは大変なことになる。体の自由が利かなくなったときにどうするか。また、一方が認知症でもなれば悲惨な老老介護の世界が待っているとも思うが、具体的な対策はあまり考えてない。自らが見守り・介護支援を受ける世界に入った時に何をイメージすればよいかということになるが、このシュミレーション力が薄いと言わざるをえない。サードライフでは、子供たちに迷惑をかけることになるが、子供たちの意見や考え方も聞いておかなければならない。また自らは、ゆっくりと余生を過ごす時期になる。この大事な時期を明確にプラン化しておきたいものである。
 
 これから、梅雨が明け本格的な夏がやってくる。今年の夏休みは例年とは様子が違ってくると思うが、お盆等で家族や親戚が集まる機会があれば、老後の最終局面等にも話しあっておく必要があり、さらには7月10日からスタートした遺言書の預かり制度にも触れて、子供たちの負担をなるべく軽減しておくことも大切な頃だと思うのだが。頭の中はまだ元気で若い自分がイメージされている。



2020.7.15 自然災害とこれからの生き方を考える

 昨日のライン交流の中で、今病気に立ち向い頑張っている人の思いの交流があった。またそれを見て新たな取り組みを考える人もいた。一方、いま
起こっている大雨による水害や崖崩れ、これまでに会見したことないと言う表現が数年前から飛び交っている。コロナと重なって避難所での対応も三密をさけ、除菌対応も求められ、大変な状況で、これも今まで経験のない対応となっている。
 今日は午後になって、朝方の副作用も改善したので、いつものコースの散歩に出た。ゆっくりとした足取りで雨上がりの緑地は久しぶりで新鮮だった。このところのいろいんな出来事を考えながら歩いて気持ちの整理もできた。雨による災害は熊本県南部を中心に全国で大きな被害が出て、この現象は毎年続く事を考えると、東日本の津波による災害や2度にわたる震度7の熊本地震を考えるとまちづくり、都市計画から根本的に再構築していかねがならない気がしている。そうした中、我々もそうした自然災害やウイルスとの共存直面し、それらに対応した生き方を模索することになる。
 体調もあったが、そうした思いに休み休みの散策となった。自らの健康管理ももちろん大事だが、これまでと異なる自然環境とそれによる生活スタイルを変容させて行くことも考えねばならない。家族のことや子供たちの時代にも思いを馳せ、親の責任として思いを残しておくことも多岐に渡る気がしている。まだ自分として、やりたい事も多いが、そう時間もない。当面はコロナ、次に災害リスクへの対応、そして、人生100年の構想も大きく変わってくるような気がしている。やるべきことが多すぎるなと感じている。

 


2020.7.5 三人寄れば文殊の知恵

 東京のコロナ感染者が100人を超える日が続いている。東京・首都圏との交流が緩和されて人の往来が促進されてくる中で、地方でも新たな感染者やクラスターが報告されてきている。こうした中で、5月に計画していた仲間たちの九州での集いも延期にして今年の秋にやろうと考えていたが、昨日、ラインのグループ通話で話し合いを行った。9月にやろうという意見もあったが、現状からして、第二波のことも考えて来春以降にしたらどうかという話になった。
 「三人寄れば文殊の知恵」という言葉があるが、参加者は5人でざっくばらんに話し合いができた。お互いに個別の状況も判断しながら、リモートで会議で意見交換ができることは素晴らしいなと感じた。それぞれがしっかりとした見識を持って、現状分析をして冷静に意見交換ができた。われわれの仲間を何かにつけてリードしてきた5人であることから話も早かった。互いに共通の思いもあり、今何が大事かを第一に、来年の春以降に実施という結論に達した。5人であったが、文殊の知恵を授かることができたという思いである。リモート会議に参加してくれた私を除く4人の仲間に心から感謝したい。



2020.6.28  生きることは、社会貢献?

 テレビの場面から、「鐘の鳴る丘」のメロディーが流れてきた。戦後の復興の時代に我々は生を受けた。幼いころは、原っぱでチャンバラごっこをしながらも、誰かが「緑の丘の赤い屋根、とんがり帽子の時計台・・・」とこの歌を歌っていたのを覚えており。台所で母親が口ずさむのもうっすらと覚えている。昭和のこの時代は何とも穏やかで心豊かな感情が蘇る。今とは何かが違い将来に夢があり、虹のかかる希望の大地が先に見えた。
 今、コロナで新しい生活への取り組みが始まろうとしている。将来に夢はあるだろうか?虹のある大地は広がっているのだろうか。子供の頃、虹が消えるまでに走って行けば、その七色の虹にたどり着くと思い、思い切って虹を目指して走ったことがあるが、その距離はっちっとも縮まらず、もっと早く走らないといけないと考えた。そうした夢とは異なるが、現在の我々の生き方はこれからどうしたものかと考える。コロナ対策は今までの人の生き方の是非を問うものでもある。
 ウイズコロナという考え方の中で、今後我々は生きていかねばならない。生きるという意味をもう一度考え直さないといけないと思っている。若い人はともかくも、我々団塊の世代としては、これからの人生はプラスアルファーの部分でもある。北海道で「昼カラオケ」のグループのコロナ感染が話題となった。趣味や楽しみに生きるのも大いに賛同するところであるが、我々の世代は戦後から高度成長時代を牽引してきたという自負もある。これからの生き方にはどこかに人それぞれに生きることが何か社会につながって、意味あるものにしたいものだと私は考えている。
 特に、これからの新しい様式での生活スタイルに、どこか社会貢献につながるものがあれば良いなと考えている。たいそうに意識しなくても、人生の経験を積み上げてきて、その足跡を背負って生きる今後の生き様の中に、何か少しでも社会に役立つ部分があるような生活スタイルと生きる思いを持ちたいと思っている。生き方の中に自然とそうした内容が滲んで見えるような味わいのある生き方がしてみたいものである。



2020.6.16 新しい生活様式と今後の生き方・・・そして終活を!

 新型コロナの感染拡大は、世界的にはまだまだ拡大している。あの100年前のスペイン風の世界的大流行と同じように人類にとっての大きな脅威である。当時、日本国内で大小3度の流行(1918〜21年)を繰り返したといわれている。第2波は死亡率が第1波に比べて4倍超にはねあがったという記録もある。100年前の経験に今回のコロナの第2波に対する備えの対策をしていかなければならないだろう。
 人類の歴史はウイルスとの闘いでもあったと言われているが、産業革命から地理上の発見時代で世界の生活上の変化、社会の構造的な変化が生じ、それ以降、人類は化石燃料を燃やし続け、地球の温度は現在までに2度上昇したという。今、コロナ感染で思うことは、やはり人類は自然との共存を再考する必要があるという風に感じている。今回のコロナ対策の対策の中でとてつもない恐怖を感じたのは日本国のみならず、地球中の各国の思いであろう。
 人生100年時代ということで、健康を前提にセカンドライフをいかに楽しく有意義の過ごすか!そして人生の最後は自分らしく生き抜いて、しっかりと次世代にバトンタッチをしたいと思っていたが、ある意味その前提が大きく崩れてきたと考えている。便利で豊かな今の時代を見直す必要があるだろうと考える。次世代に何を残すかはこれからの新しい生活様式を整えて、その流れの中で再構築していくものではないのかと修正を余儀なくされている



2020.6.4 言葉の力を求めて 

 ある人が、月一回電車で都心の眼科に通っていると言う。そして、都心通いのもう一つの理由はどうやらリフレッシュの意味もあるようだ。都内散策で目に入ってきた言葉にも感動したようだ。『「ある寺の掲示板に「これからが、これまでを決める」とあった。凄い言葉だ。「これまでがこれからを決める」は、原因があって結果があるという欧米型世界観である。この掲示板は正反対のことを言っている。東洋の哲学だ。これからの生き方次第で、これまでの人生の意味が違ってくる。』
 なるほど、心を打つ言葉であると同時に我々の常識目線に新しい風を吹き込んでくれたような思いである。
 関連でネットを探って見ると、そのあるお寺の住職のエッセイにたどり着いた。「本当の優しさは他人に気づかれすに届けることだ」という一文があった。これも納得のメッセージで心が揺れた。人はどう生きるかということに常に向き合っていないと、時々心が違う方向をを向いて道を歩いてしまうことがある。そんな時に正しい方向に戻してくれるのも、こうした言葉の力なのかも知しれない。

 今、コロナ感染拡大に世界が混乱し、対応でなんとか踏ん張っている日本であるが、緊急事態宣言を解除すると、すぐに気分が緩んでしまう傾向にある。3月の3連休や5月の連休明けがその例である。「これからが、これまでを決める」とは本当に我々が今、心しなければならないことだろう。これからの行動をしっかりやっていかないと、国会で喧々諤々と議論して遅きに失しながらも、頑張ってやってきたことが無駄になってしまう。折角の自粛・ステイホームが水泡に帰すことになる。感染拡大の第二波をいかに小さく抑えていくかが大切になる。コロナ菌は消えてはいない。人から人への感染を少しおやすみしていただけなのである。

      今を変え 生きる証が 過去変える
   
   朝夕の 散歩で目にする 寺ことば 今日を変えて 明日に生きる



2020.5.16  昔の職場仲間とライングループで交流!

 今月になって、ゴールデンウイークも外出を自粛となって、時間も持て余すことから、全国に散らばる昔の研修仲間たちと、ラインで交流するととした。
 昭和の時代に一年間、名古屋の鳴海で研修生活をし、苦楽を共にし、研修仲間たちは、全国の職場に散って行った。
 
 あれから、すでに40年以上の時間が経過した。今はそれぞれ悠々自適の生活を送っているのだろうと思いつつ、なつかしい人々からのメッセージや写真が投稿され、グループビデオ通話をすると画面に写る懐かしい顔にお互い感激した。数年に一度は東京や東海地方で集まって交流会を行ってきたが、研修終了後ほとんど会っていない人もいる。

 ライン交流では、コロナ感染に伴う対応でいろんな苦労があるようで新たな発見も多くあった。地域活動や民生委員をしてボランティアで頑張ている人もいた。大方の人たちは孫やペットに囲まれて、ゆっくりとした老後を過ごしているが、まだ何らかの仕事をしている人もいる。暇な時間を活用して終活を始めた人もいる。整理をしてみると捨てられない品々に悩むという声も上がってきた。特にアルバムの写真を整理していていろんな過去の思い出に浸る人もいて、万事同感である。
 時を越えて、いつでもあの昔の思い出の日々に戻って交流ができるということは何にも代え難い。コロナで溜まったストレス解消にはとても良い今回の企画だったと思う。新し情報も交換でき、互いにこれからの人生の生き方にも大いに参考となり、有意義な交流を続けている。


2020.4.24 新型コロナが世界に大流行・・・自粛の日々でHP再開!
 今年に入ってから、中国武漢がコロナで閉鎖というニュースがあり、また大変な感染症が流行ってきたなという感じだったが、その後日本では豪華客船ダイヤモンドプリンセスの対応に追われる中で、徐々に日本も感染が報告されるようになった。そして、あっという間に東京を中心に感染が拡大しての全国各地に広がって日々400人以上の感染者の報告があり、クラスターが各地で発生し、緊急時代宣言も7都府県から全国に広がってしまった。

 当県でも2月21日に一人の感染者が発表され、今や40人を超えてしまい、不要不急の外出の自粛となっている。
 そうしたことから、最近更新していなかったマイサイトを復活させることを思いつき、また、新たな発想で情報発信をしてみようかと思い立ったところである。

 3月の20日前後の3連休でやや緊張感が緩んで、この1ヶ月で感染者数は全国で1万人に迫る状況で先行きが見えない。今年の連休は全国的に県を越えて移動は制限され、これまでにないゴールデンウイークとなる。
 
 退屈紛れの散歩で遊水公園の中にある池には季節柄蓮の花が咲いていてホっとした気分でしばらく眺めていた。
 このところ生活は一変して、自宅でどう時間を過ごすか、この際何をすべきなのかということを考える日々となっている。そして、年齢的なものや持病もあるためにマスクは常用し、手洗い・うがいをこまめに行っている。

 時間は十分にあることから、自分の部屋でパソコンをいじってみると、ほとんど使っていなかったない以前のマイサイトを見て、現役時代から積み上げた貴重な情報や思い出の世界が広がっていた。また、少しずつ書き込んでアップして行きたいなと考えている。

  豊かさに 待ったとコロナが もの申す
  混乱で 世界が初めて知る 課題
  どう過ごす 感染防止の  ステイホーム
  この際に 人生見直し 日々整理
  暮らし方 変えて新たな 価値を知る

 
 


2018.5.11 ホテルの仕事に区切り
 
 体の異常を感じ、検査して入院して、17日間の治療を終えて通院しながら徐々に体を慣らして日常の生活をなんとか取り戻してきた。たが、今後は無理ができないということで、仕事を後任に引き継いだ。ここでも葛藤があった。会社側は後任はいらないという思いがあったが、私が辞めればまたに戻るように感じ、トップを説得した。私の思いはなんとかこれまで築いたお客様との絆を大事にしたいという思いである。
 昨日と今日で、後任者と同行して関係の会社や得意先を回った。体は薬による倦怠感みたいなものを感じてきつい感じもあったが、責任感と私の強い信念が静かに一人で歩いてくれた。笑顔で昔の仕事仲間やお世話になった人々を訪問して、これからホテルとしてもお世話になるところをつなぐ役割を果たすことが出来た。ホテルの同僚たちは何もそこまでやらなくてもと思ったのかもしれないが、それこそ、営業に陰りが見えた分野を繋いできた私のこの一年二ヶ月の思いでもあった。後任のS氏はそこはよくわかって同行してくれた。これまでの私と同じようにやれるかどうかという不安も訴えた。そういう彼の気持ちが前向きだなと感じささせた。彼の責任感とセンスがあればやれると私は確信した。
 この一年間働いてきたホテルの同僚の人たちや上司の方々にも挨拶をして、片付けたデスクをもう一度確認して職場をあとにした。私にとっては病で人生の大きな区切りを付けることができたのかなという思いであった。


2018.4.26  たっぷりな考える時間・・・そして人生の真理を探る!

  これまでの生活習慣をがらりと変えるある意味良い入院生活となった。病棟には多くの入院患者と彼らを見舞う家族が訪れる。それぞれ大変な家庭事情を抱え、笑顔と真剣な表情が交錯する真剣な日々を送っている。遠く天草から見舞いにくる人のもいる。血液の移植等をして急場を凌ぎ日々外出許可を取り公園に出かけている患者の人もいるというから驚きである。。難病にと言う名に値する患者もいる。根気よく入退院を繰り返して、仕事も続けている人もいる。きっと会社も全面的に応援してくれているのだろう。
 これまで、当たり前だった健康がこれほど大変なことで、一旦大きな病気をすると家族の負担も大きいということを多くの実例を目の前にして初めて知る思いである。私は今回の入院でこれからの生き方が今までと全く異なったものにならないといけないということを強く感じている。今回の病気で脊椎の骨がもろくなっているので、今後の管理が必要となる。食事療法や週に一回の通院は続けなくてはいけない。田舎の母のことも気にかかるが、自分の体の管理に重点を置かざるを得ない。長生きに時代の人生の壁にぶち当たる。超高齢化社会が初めて経験することがこれからの人生100歳と続いていく時間を築いていくのだ。
 また、私はこの入院で有り余るほどの考える時間をもらった。人の命に限りがあるということをどこか横に置いた見方をして希望の世界のみに生きてきたような気がする。自分は丈夫だからという前提で。しかし、目の前に日々展開する医療の世界、最新鋭の医療機器での日々の検査や治療、関連する不安な部分のチェックで歯の治療までやった。人間ドックでもやらなった事が多くの検査で分かり、お入りという事の意味がわかってきた。健康管理は日々真剣にやらないとダメなこと。入院患者同士での病気と向き合う事のノウハウの情報交換も大いに勉強になった。限りある人生を実感したときに真実が見えた気がした。家族を中心とする人の心の奥深い偉大さを知った思いである。。
 人生をもう一度考え直す貴重な体験であったと思っている。病室での出会いとこの不思議な空間での一体感の中にも人の絆の真実を見た。ここにはひたすらに生きようとする人とそれを支える絆で結ばれた家族に支えられ、何にも代え難い永遠の心が通う所である。

   人生の 雲の峰越え 遥かなる 蒼き空に 真理を見たり




2018.4.23 猛暑の4月!

 4月なのに、全国で30度を越える暑い日が続いている。病人でなくともこの異常気象の対応は大変だろうと思う。それにしても次から次に入院して くる患者に対応して、医者も看護師も病院のスタッフの皆さんも暑い中を献身的に頑張っている。頭が下がる。病棟の窓から外を見ると多くの人や車が出入りして、病院全体がフル稼働している。本格的な入院をしてみて分かることが多い。病院に入ってみていろんな難しい病気と戦っている人たちを目の前にして私の人生観も大きく揺れ動く。これまで当たり前のようにしていた生活が多くの人に支えられ、たくさんの幸運の上に成り立っていた事がよくわかる。
 士業仲間たちの活動にも迷惑をかけ、仕事関係や関係する団体や組織との当面の整理、今後の活動の範囲の縮小、家族や親戚への連絡など動きが取れなくなって分かることが多い。病室に出入りする人それぞれにそれぞれの事情を抱え、いろんな生活を背負って闘っている。人間ひとりひとりの凄さを感じてしまう。これまでの我儘な自分が大いに反省される毎日である。
 外は未だかってない異常気象に戸惑っている世界があるが、病院の中は個々の患者の熱き闘いとそれを支える家族の真剣な眼差しに満ちている。人生の深みを知っていろんなことを思い返して心の整理をする時間と向き合っている。




2018.4.11 いざという時の覚悟・・・

 仕事を休んで腰のMRIを取って血液内科の診察を受けた。不思議と心を平穏に保つことが出来た。今までは取り越し苦労ということが多かったが、流石に不安が襲う。しかし、頭はクールに働いていろんなことを待合室で考える。やるべき事のリストアップや今後の対応。今手がけていることを打ち切る判断。家族への対応。どうしたらみんなに迷惑をかけないで当面の処理が出来るかなど。
 医者がすぐに入院して検査をした方が良いという。紹介状を持って大学病院へ行く。痛みがなければ先送りとなってしまったことが、次々に明るに出る。自分の心との闘いである。不思議と家族に冷静に話ができ、診察の結果を伝えることが出来た。こうしたことは頭の片隅で予測していたような気がしてくる。大学病院ではありとあらゆる検査をし、今後の治療に備えて歯の検査まで行った。
 心は揺れ動くが、腹が座った自分に驚く。人間って凄いと思った。


2018.3.1 母の生活支援と故郷の空家

 熊本地震からまもなく2年がやってくる。まだ元気でいる母を食事付き温泉施設併設の高齢者住宅に入れて熊本に戻ってきたが、実家も空家となって家に風を通すためにも月に一度はふるさとに顔を出している。しかし、故郷の我が家が空家となることなど考えてもいなかった。今流行りのエンディングノートが気になり始めた。子供たちにはまだ田舎の家のことや土地の管理などあまり詳しくは伝えていない。退職時のいろんな荷物も故郷の倉庫に詰め込んだままで、「身仕舞い」ということが頭の中をめぐるようになった。
 親の面倒を見ながら、遠く離れた故郷の家などの管理、墓参りや彼岸の行事なども負担になり始める。そこに来て最近は体の節々が痛かったり。足のしびれなどもあるとめぐる考えも滞りがちである。生涯学習で「終活セミナー」の講義をする予定になっているが、これがまず自分の身の上から現実もを帯びてくるとは皮肉なものである。



2018.2.1 さあ、如月!

 まずまず、穏やかな正月を過ごし、いよいよ大きな節目の2月に入る。私の誕生月だが、我が家は祖父も父も2月生まれである。資格をとって相続や遺言の仕事をメインに取り組んできたが、まだまだ元気でほかの仕事も応援ベースであるがやっている。ぼつぼついろんなものを整理して士業に「一本化したいなとも考えている。このところ、ネットでの依頼案件が入り驚いている。HP効果もまんざらではないと思っている。
 今年のモットである、「じっくりと、ゆっくりと」がすこしずつ実践されてきて、日々を大切に過ごすことができつつあるのがとても良い。



2017.12.17 師走の風に吹かれて

 このサイトのプロバイダーが変更となり、模様替えして新たなスタートとなった。悪戦苦闘の末、11月にようやく新たなサーバー契約の下で以前からのホームページをなんとか維持することが出来た。この間、仕事の方の忙しさもあって書き込みもほとんどできないままに時間が経過し12月も半ばを過ぎた。

 個人事業として行っている士業の仕事も、今年から役割を受けて会の運営等で時間を割かれているが、多くの人との出会いがあり、新たな発見もあって良い勉強の機会となっている。難しさもつきまとうが、前向きに楽しんで取り組んできた。思わぬ人から仕事の依頼もあり、やりがいもまして来ている。そうした中でふるさととの関わりもあり、月に一回から2回は3時間半以上かけて動き回っているので、かなり体への負担もある。

 昨年から取り巻く環境の変化があり、師走の風に揉まれながら、新たな課題に考え込むこともある。週3日の勤務日と週末の士業関連の行事や研修等で多角的なスケジュールをこなしている。厳しさに耐えて精神的にも一段とこなされて成長してきているようだ。ふるさとに足を運んでも時間に追われてあまり余裕もないが、過疎化で悩みも多い。何人かの人に話を聴いてふるさとの活性化に水を差す話も聞いた。人間関係も希薄になった気もするが、田舎は田舎なりに悩も課題も多い。

 確かに田舎は変化を好まないし、諦めてしまっている節もある。意欲も薄い。一方地震のあとの熊本はようやく更地に家が建つようになった。まだ、取り壊しの工事もよく見かけるが、復興に向けた力は感じている。マンネリ化した人間関係で沈滞するふるさととはある意味対照的だ。疎遠になったせいもあるかもしれないが、ふるさとの風は冷たかった。それに比べて打撃を受けたはずの地震のあとの熊本はなぜか温かい。

 場所を変えて感じた師走の風は冷たくすり抜けて、すれちがざまに含みい笑をした。地震に耐えて苦しいはずの熊本が活力が増している。世の中、あまり平和すぎても力は出ないのだよ師走の風が囁いたような気がした。しかしまた、田舎も都市部の街にも同じく季節は移り、陽気な暖かい春の風が吹くのだろうが、人間が織り成す世界は温度差があるのもヤムを得ないことなのだろう。



 



2017.9.23 「超高齢化社会!人生80年時代から100年時代へ!」地域へ思いを伝えて・・・

  昨日、大分から熊本に帰ってきた。今回の帰省は菩提寺での講演のためのものであったが、高齢化のリスク、過疎化のリスク、長生きのリスクを説いて確かな反応があった。人生80年から100年の時代の心構えはまだそうは意識されていないようだったが、多くのヒントは感じてくれたようだ。普段あまり交流のない人たちが気安く声をかけてくれ、人の付き合いというものの不思議を思った。
 寺新聞で見たよと声をかけてくれたり、普段親しくしていない同級生の仲間が聴きに来てくれたり、逆に親密に交流していた仲間たちは皆忙しく、あまり口を聞いたことのない近所の人が終了後に「良かったとよ」と声をかけてくれた。
 人それぞれに関心事は異なるが、菩提寺に集まった人たちは機械のトラブルにもめげずに熱心に耳を傾け資料に目を落としてメモをし、その姿勢に心を揺さぶられて話もついつい力が入ってしまった。 ほぼ予定通りの時間で講演が終わり、一生懸命に準備をしてこの一ヶ月頑張ってきた甲斐があったなと胸をなでおろした。
 あまり交流のなかった高校の同級生が数年前にご主人をなくし、相続処理が終わっていないという話をしてくれて仕事の依頼をしてくれるなど思わぬ反響に驚いている。リップサービスでも心が温かくなった。誠実な気持ちが伝わってきた。お寺の本堂での一シーンは慈悲深い仏の掌の上での錯覚だったのか、幻か?・・・・地域の人々の優しさがまだ緊張の溶けない私の心をほぐして余りあるご褒美だった。エンディングノートと終活に多くの人たちが心を開いてくれたのが何よりもよかった。


2017.8.1  新たな人生の扉を開く!

 地球温暖化、そして酷暑の夏。そして、思わぬ役割と取り巻く環境の変化にしっかりと向き合ってみた。「何も引かない、何もたさない!」というあるCMのキャッチコピーを思いだしてみる。この2ヶ月間、自分を取り巻く現実をそのまま受け止めてただひたすらに前を向いて歩いてみた。自分に都合の良いことばかりを今までは拾い上げて現実を歪めてみていたのかもしれない。

 目の前に広がる真実を自然体で受け止め、日々の出来事に素直に向き合って見た。なぜ、こんなに暑い日が続くのだろうと考えるのではなく、毎日暑い日が続いているという現実だけに向き合う。なんでこんなに忙しいのかではなく、忙しさに向き合って精一杯やるべき事をやって一日を終える。すると、横道に反れていた気持ちや不平不満が不思議と安らいできて、気持ちが前に向いていることに気がついた。過去を振り向いても仕方ないのだ。

 今日も相棒の若い社員と訪問先を最大限に回って見ることにして、暑い日差しの中を汗を拭いながら、八代方面を回ってきた。走行距離は100キロを超えた。用意したパンフレットは全部配布した。挨拶をしてこちらの思いを伝えると、思った以上の答えが帰ってきた。少し予算があるので、検討したいとか、社員の中に結婚式を挙げる予定があるので、時期がくれば相談したいという動きもあった。

 先月は大きなイベントを二つやりあげた。そして、ある覚書を交わす仕事を並行して骨格を作り上げて、ある会議で説明をした。これまでにないほどの疲労感があったが、厳しい時間を走り抜けて気負いのない達成感と人の本当の意味ある生き方というものを垣間見たような気がした。まるで滝行を終えた修験道がきっとこんな境地になるのではないかと思ったほどである。自分に甘くしていてはちっとも成長はしない。むしろ心は堕落する。厳しさから逃げないで向き合ってそれを乗り越えてこそ、人生の次のステップに行けるのだなと感じたところである。

 あらたな人生の扉が開いた感じであるが、まだまだ、これからも心の戦いは続くだろう。つい先日亡くなった日野原先生が「人生坂道があるだけ」と言われていた場面があった。人は一生をかけて高みを目指して常に努力していくのだろう。そして厳しい現実に向き合い、悩んでそれを乗り越えることが、その人の人格や品格となって美しい輝きを添えることになるのだろうと思っている。



2017.7.16  忙しいから、早め早めの動きで・・・

 暑い日が続いている。このところやけに忙しく、次々とやることが目の前にあり、ひとまず目の前の川から渡る方式で何とか行事をこなしている。そして、スケジュールを確認し、後手にならないように早めの準備をし、必要な資料は後回しにせずにすぐに手を付け何度かチェックをしている。それでもなんだかんだとやているうちにちょうど良いタイミングとなりことが多い。その分手を入れる回数も増えるし、人の意見を聞く余裕もあるので、結果出来栄えが良いもになるようだ。

 9月の講演資料もひとまず準備して先方に送り込んだ。電話が来た。随分早く取り組んだことに驚きの声もあったが、内容は問題ないようだ。よかった。一つ肩の荷が降りた。この忙しさが何だか自分を押し上げてくれている気がする。

 一息ついて、久しぶりに友人からもらった孔子の論語を開いて声を出して読み上げてみた。「逝く者は斯の如きか。昼夜をおかず。」・・・過ぎゆくものは、川の流れのようなもので、昼も夜も休むことはいっときもない。もっと精進しなくてはと口をついて出たという。そして、もう一つ、「其れ恕か 己の欲せざるところ人に施すことなかれ」・・・人への思いやりを大切にした孔子の言葉。孔子哲学の根元をなす「仁」の中心にあるものと言う。
 私もまだまだ、成長過程の精神を引き上げていかなければならないなと思うところである。

 見上げれば 何とも奇妙な 夏の雲     夏バテか 雲も暑さで 伸び上がり


2017.6.4 ふるさとの川を綺麗にする会「はやぶさ会」

  水害が繰り返された過去の歴史に鑑み、故郷の河川も灌漑用水への利用や治水のための事業が実施され、護岸も綺麗に整備されたが、過疎と人口減少の故郷の街は寂れ、河川の護岸も草が伸び放題。行政も手が届かない。そこへ還暦を過ぎてからふるさとに足を運ぶ仲間たちが川の清掃を提案して、数年かかってようやく腰を上げ、地元の仲間たちと何度か話し合い、一念発起して二年前から川の遊歩道を綺麗にしようと立ち上がった。これが「はやぶさ会」である。命名は数年前の12月に探査衛星はやぶさ2が宇宙空間に飛び立った日に故郷の未来に夢をと決めた名前である。
 今年も6月4日に数人の仲間で川岸の草刈と遊歩道に蔓延った雑草を清掃した。本来ではこうした活動を広げていきたいが若者も減少していく中で年配者が熱い思いを胸にささやかな奉仕活動として行っている実情である。
 近所の人に飲み物やおにぎりを差し入れしてもらったのは何ともありがたいことでした。

 過疎進み 誰かがやらねば 灯は消える
 やれること やってみれば 楽しかり
 ボランティア いいじゃないの まちづくり
 川清掃  蛍が飛ぶかも 遊歩道
 そのうちに きっと広がる 故郷愛



20176.1 人間模様もお天気模様も・・・

  人が生きていく上で、良いことも悪いことも楽しいことも面白くないことも人が織り成す仮の姿。日々の天気と同じこと。気分もお天気次第、感情次第。悪意もあれば善意もあるのが世の常で、本心を見抜くもうっかりすると見誤ってしまう。
 考えてみれば熊本地震のあった昨年はこの時期まだ余震の真っ只中で震度3はざらにあった。それに比べれば今は平和だ。自然の力にはとうていかないっこない。

 最近、週3日の仕事を初めて生活にハリが出てきた。どうやら若さを保つ要因はこの辺にありそうだが、間違えばストレスを抱えることになる。だから思ったことを上手に言葉に出すコツを学んでいる。立場が変わっても相手の気持ちを逆なでしない程度にものを言う。事実は事実。それを曲げるわけには行かないがお天気が下ってしまってもいけないので曇り状態で心を開け放つ。相手によって多少は異なるがそこは致し方ない。人間模様は人模様・・・くるくると回るメランコリー。今日のお天気はふた開けてみなければわからないこともありそうだ。

  いやなこと 重ねてわかる 人模様
  いつまでも 晴れの天気は 続かない
  雨さえも 楽しからんや 人の彩
  気づきあれ 花も天気も 時しだい
  思うほど 人は見てない 感じない
  だから良い 気まま流で 生きられる



2017.4.23 田舎路のカフェ「だいこんの花」

  ある友人から、大分空港から安岐の朝来の奥にできた話題の田舎カフェの情報をもらった。テレビでの人生の楽園でよく紹介される脱サラで田舎暮らしをするケースの人の話は多い。過疎の町に元気を取り戻し、これからの超高齢化社会にはまだまだいろんな形で、地域貢献や活性化とともに老後の生きがいを求めて活躍する人も出てきている。

 私も田舎レストランや古民家カフェなどもいいなと思って、人には「やってみたら?」と進めて見るが、決断に至る力を持ち合わせない。今日お会いした御夫婦も決断をして素晴らし人生を歩まれているなと感銘を受けた。田舎暮らしを求めて移り住み、地域活性化の活動を支援する形で、お役に立てればいいなという思いもあるという。

 コーヒーと椎茸まんじゅうなるものを頂いたが、中華まん仕立ての生地の中にしいたけをミンチの肉などで煮込んだ具が入っていて大変美味しい。そしてコーヒーとよくマッチして運転の疲れがスーと取れていく気がする。家や看板などはご主人の手作りだという。営業許可もご自分たちで行ったという。帰りに奥さんにお店の名前の由来を聞くとご主人が好きだった森繁久彌のドラマのタイトルから取り、それが「だいこんの花」だと言われた。そう言えばそんなドラマがあったのを私も思い出した。
 
 古希を契機に生き生き人生を歩んで行こうとする素敵な御夫婦であった。
 時々故郷に帰って立ち寄ってみたいところがまた一つ増えた。

  チャレンジし 歳を重ねて 夢の路
  人のため 地域のためと 出す一歩
  ゆったりと 流れる時間の 琥珀色


2017.4.17  男女共同参画センター「はあもにい」

  最近、良く足を運んでいるのが「はーもにー会館」である。我が家から10分ほどの3号線沿いにはあもにい会館がある。朝起きて散歩して立ち寄って新聞を読んだり、図書コーナーで本を読むこともできる。何度か足を運んで今生涯学習で学んでいる源氏物語や枕の草子などが差し絵を入れてわかりやすく書いている本があった。先日は樋口一葉の作品に触れてみた。午前中の時間でちょっとした短編の文学書等を読むのにはちょうど良い。
 ただ、年配の男性が常連で何人か来ているが、マナーに問題がある人がいるので困る。ソファーや椅子に座って静かに本をよんでいてくれれば良いものを、本を読みながらブツブツと独り言を言ったり、無神経に音を立てたりする。本人は悪気はないのかもしれないが、こちらは集中できなくて困る。新聞を読んでは一人で批評をする人もいる。しかも新聞を激しく音をさせてめくっては元に戻したり・・・静かにしてください!と言いたいところだが、やむなくこちらが席を移動する。言い争っては他の人にも迷惑がかかる。口論になっても後味が悪い。正義感を顕に頑張っるほど若くはなくなってしまったようだ。

 歳とれば 横着・頑固 無遠慮う
 はあもにい 相手を気遣う 憩いの場
 静粛に! 咳払いして 牽制球



2017.1.21  まだ働きたいという気持ち・・・

 ふるさとに戻り、相続やら土地の贈与契約という仕事の依頼があって、今のところ自由な時間の中で少しづつ仕事が入ってくるが、何か物足りないと思う気持ちがある。ハローワークにも通ってみて、いくつかの会社の求人を見て一旦会社勤めを退いてゆっくりした後に、もう一度エンジンをかけて運転をしようとしてもこれまた今ひとつ気持ちが乗ってこない。集中力が続くかどうかという不安もあるし、新たな職場に身を置いて新たな人間関係の中で気配りをしてやっていけるかという思いもある。

 一方で、今の所属している会でもっとかかわり合いを多く持ち、事業展開の拡大の広告も打って、相談件数や依頼件数を増やしていくことに力を費やしたほうが良いのではないかという思いも強くある。比較的動き回ることが好きな自分ともう年齢を考えてゆっくりとしたらという怠け心を揺さぶる小さな悪魔が耳元で囁いて、心が微妙に揺れ動く。健康には自身はあるのだが・・・。

 実のところは、今の個人事業も幅が広く、まだまだ勉強すべきことは山ほどある。そして力もつけないと淘汰されてしまうのも事実であろう。何事にも冷静な判断が求められ、その判断を誤ると大きな痛手を食うことになる。母親を抱えてふるさとでの田舎暮らしをしたあとの判断では仕事の区切りと熊本地震の結果、真剣にかつ適切な判断をすることが出来た。楽しく過ごせる自由気ままな故郷で仲間たちとの交流だけに明け暮れていたのでは余りにも短絡的な人生を送ることになったかもしれない。

 苦しさを乗り越え、思い切って踏ん切りをつける決断は時には必要である。新たな仕事に対しては今しばらくじっくりと考えて見たいと思っている。

  まだ仕事 できると通う ハローハロー 
  無理しても 苦しいだけよと 妻の声  
  娘の目 暇なら体重 減らしたら?




 


2017.1.1 夢に寄り添う・・・

  2017年という舞台の幕が開いた。今年はこの舞台でどんな役割を演じることになるのだろうか!
  昨年9月に三度目の退職をして、肩の荷を降ろしてのお正月は初めての経験である。

 力を抜いたごく自然な姿勢で気負ううものがない感じがとても良い。四年前に資格と取って開業した個人事業は法務局関連の仕事を受託しての会社勤めで働いて来たので休業状態だったが、いよいよ本格稼働となり、この3ヶ月ぐらいの間に、いろんな人の紹介でポツリポツリと仕事に恵まれて、個人事業の仕事の先行きに光が見えてきた。これからではあるが、先が見えるというこの希望の光がなんとも嬉しい新年である。

 本当にやりたかった夢が少しづつ身近なものなり、その夢に寄り添って生きることができるのは楽しいことである。この仕事は定年もなく、退職もないが良い。健康であれば力の続く限りやっていける。趣味の世界でもやりたいことはたくさんある。ようやく自由な気分で味わうお正月となったようだ。

 幕が開く 夢を演じる 人生道
        寄り添えば 願いが身近に 降りてくる 
        荷を下ろし 力を抜けば 霧が晴れ


  

2016.11.17  友と酒を酌み交わし、歌を歌って人生を語る・・・

 永年の仕事人生のなかで、多くの出会いがあったが、異業種の人達と触れ合うことも多かった。文化も方針も違う職場風土の中で育ち、個性的に振舞う面白人間たちがいて、何故か引き合い、集まり、語り合う時間が生まれて久しい。
 ある人は県の活性化と認知度を高めようと手腕を買われて頑張っていた。またある人は活字の世界に生きながらも、人情豊かに地元の発展を願う。共通項は地域のため、会社のためには労を惜しまず、時間を惜しまないという気質があった。
 前代未聞の震度7を連続して味わった熊本地震以後、初めて顔を合わす。それぞれに苦労は抱えて乗り越えてきているが、持ち前の前向きな姿勢は変わらない。静かに未来を見つめ、互の人生を生き抜いて語る話に気負いはない。健康であればまたこうして会えると酒がすすむ。歌を唄ってもそれぞれに持ち味があり、楽しい。みんなが自分の世界を持っている。また会おうと二次会のスナックをあとにした。

 秋の夜の 個性に生きた 人生に
           拍手を送って 歌に興ずる

     人は歌 歌は心の 万華鏡

     変わらない 笑顔に個性の 灯かな

 

 


2016.11.1 それぞれに新たなスタート!

  少し肌寒い風の吹く11月1日の幕開けは愛犬との散歩。熊本に戻って、新しい生活をスタートさせた。

  昨日は妹夫婦と母の高齢者専用住宅への入居を見届けた。月が変わり新たな決断のもとにそれぞれが新たな道を歩き始めた。米寿を過ぎた母は背中は曲がっているが、まだまだ元気で、新たな環境で頑張る事となった。新居は老人用の小さな一戸建てで病院と温泉がセットされたエリアで、オール電化の住宅は安心である。妹夫婦も喜んでくれ、一緒に近くのレストランで昼食を取りながら、「良かった。これで安心だし、時々顔を出せる」と話していた。
 引越しの荷物を運び込む中で、母は近所の人とも顔を合わせすぐに打ち解けて友達が出来た。事務棟の職員の人も毎朝、声掛けをして安否を確認してくれるから安心である。

 核家族化が進んだ現代の超高齢化社会では親と子がそれぞれの生活空間を持ち、昔みたいに一つ屋根の下で生活するということはむつかしくなっている。健康であれば、こうした施設で老後を楽しむことも出来るが、一端寝込んでしまうとそうはいかない。子供にしても、親が自宅で一人暮らしを続けるには火の始末や戸締り、そして転倒して怪我をすることが心配である。

 今回は良い施設が見つかって本当に良かったと思っている。長生きの時代になって子供世代も親の心配をしながら、自らも終活対策をしていかないといけない時代と心に刻み込んだ。家族の健康と精神面でのバランスも考えながら、タイミングも大切である。家族で早めに話し合い、みんなが合意のもとに、時期をみて決断をすることが求められるような気がする。



2016.10.29  過疎化の地方社会と高齢化

  一人暮らしの母親も耳が遠くなり、この2年余り、仕事も確保し工夫をしながら同居して思うことがある。

 都市部へ人口が集中する社会の流れは地方の過疎化を生んだ。都市部でも昼間人口と夜間人口との格差が生まれ、ドーナツ現象が起きて久しい。経済の発展優先の社会構造が生み出す必然であろうが、いま話題の働き方の問題にも関係してくる。核家族化が生んだ歪であり、便利さ優先の社会にしてきた責任でもあろう。

 高度成長を支えた団塊の世代が高齢化してこれからの問題解決に手が届いていない。現代社会は更なる技術革新・あらゆる便利さを求めて動きは加速していく。車の自動運転をはじめとして人工知能の時代に突入して行くだろうが、今度はこの団塊の世代がおいてけぼりを喰う時代がみえてくる。90歳を前にしてまだしっかりしてはいる母親を高齢者専用住宅に入れて、核家族した家族が離れ離れに暮らす選択をした。

 先日のテレビの番組で、人生100歳時代になれば、80歳過ぎまで働かないといけない社会になるという。もちろん健康であることとセットであるが、社会の仕組みも大幅に変えていかないと混乱を生むだろう。

 母の引越しを終え、当の本人は住環境はオール電化の快適生活で11月からの入居を楽しみにしているが、果たして精神面での充足が得られるのかどうか心配である。世話をする我々も子として考えるところも大きいが、次は自分の老後がもうその流れに乗って動いていると思うと複雑である。年金問題も気になる。福祉政策も国や自治体で取り組みの格差がある。

 豊かな老後とは何をもって言うのだろうか。これから時代はどう変わっていくのだろうか・・・



  


2016.10.10 ふれあい農園にて・・・

 熊本に戻ってから初めてのふるさと入りで、企画した川の清掃活動を地域の仲間とこなして、畑の周囲の草刈を行い、家の庭の整理も行って昨日はお寺の檀家衆数人とふるさと活性化の話し合いを行って今朝は薄曇り。何もかも振り出しに戻しての再スタートである。
 
 気になるのは2年間手がけた畑のことである。オクラやレタスの出来栄えを見ながら、コツコツと草取りをして畑をきれいにした。しばらく放置することになる畑には愛着が残る。倒れたコスモスの花を竹で支え直し、きゅうりなどの野菜を収穫した。季節はようやく秋らしくなった。殺風景な農園に昨年からコスモスを植えたところ、今年も綺麗に咲いてくれた。

   ふるさとを元気にしたいと心に決めて  田舎暮らしの2年間
   地域の仲間と語り合い  野菜作りで過ごした日々に
   汗を流して酌む酒に 遠い昔の夢を追う
   ふるさとの活性化を願った日々に 同期の仲間の支えあり

   鳥のさえずり聞く朝に  友と歩きし散歩道
   山越え丘越え海を見て、元気な故郷にと思いは熱い
   歌を歌えば青春の  思い出たどる故郷の夜
   今も変わらぬ山野の姿 ふるさとの自然は静かに優しく微笑んでいる




 

2016.10.8 増える故郷の空家に思う!

 昔は四季折々の行事や祭りで賑わったメイン通りも国道沿いの商店街に賑わいが移り、高度成長期以降郊外型の量販店や大型商業施設がデパートを抑えて台頭して古い街は空洞化して、今や大きな駐車場を備えた便利なコンビニが熾烈な戦いを見せ、車で利用する顧客の奪い合いである。

 故郷の街は高齢化の波にさらされ、空家と独居老人世帯が増えている。過疎化をたどれば限界集落というレッテルがいずれ貼られることになる。こうした状況を危惧しながらも、我が家でも一人暮らしだった母が地域の三食付き、医療付き、温泉付きの高齢者住宅に入ることとなり、空家となることとなった。「まさか我が家も・・・」という思いだったが、長寿社会ではこうした現象が今後更に多くなるだろうと思う。

 私は先月、仕事の事務所を閉鎖することとなり、何かを終わらせるとか閉じるということの大変さを味わったが、我が家を空家にするということも大変なエネルギー必要とされるとつくづく感じている。電気・ガス・水道を止めることとなり、連絡先はどこかと探しはじめた頃にはそう大変だとは思わなかったが、地域のお付き合いをどうするか?区費は払うのか、払わないならどうなるのか?電話は持っていくのかやめるのか?郵便物はどうなる?お寺さんとの付き合いは?お墓の管理は?今後、空家となった家屋の管理は私がどうやればいいのか?近所への挨拶はどうすれば良いか、親戚には連絡すべきか?引越しはいつ行うか?何を持っていくのか?家の整理をする暇はない!とすでに手一杯である。

 親の責任を今後は私が一身に請け負うこととなる。頭が固まってしまう。経費面でも次第に圧迫されていくことになるだろう。誰もが通った道なれど思い悩むことが多い。それ以上にこの町並みにまた空家が一軒増えることに妙な罪悪感に苛まれる。これからはこうして一つ一つ、難しい選択を受け入れながら、これから歳を重ねていくことになるのだろうと思うと誠に心が重たいという気分で押し込まれそうになる。これが人生であり、現実であるのだが、受け入れるのにもう少し時間が掛かりそうである。


  静かなり 山車や出店の 夢のあと
  高齢化 肩身の狭い 一人住まい
  空家増え 老人世帯と 肩並べ




 


2016.10.3 これからの人生は・・・

 永年の仕事人生に区切りをつけて、自由の身となった。この開放感の中でこの数日考えて見て、あることに気がついた。今の自分は故郷という心の中にある塊から溶け出してもっと大きな世界へ飛び出したのかなと思っている。故郷は私にとって大きな存在であり、人生の全てをここに集約しようと考えていたが、この2年間、年老いた母と過ごし、地域の出来事や日々の関わり合いで過疎化の中にある人々の真実と本質を垣間見た。幼馴染みや同級生が織り成す人間模様にも心を巡らせた。価値あるものと見えたものが何故か鈍く光る。人生の本質とは何か違うのではないのか・・・?

 「人生イコール故郷」ではないということを考え、故郷の中に身を置いて見て気づくことができた。都会も田舎もなく、そこには人間の本質が渦巻いている。日々ドラマがあり葛藤がある。地域の柵に囚われて埋もれてしまう人が多いが、自分にとって何が大切なのか、自分の人生の目的が故郷そのものなのか?と自問自答してきた中で皮がむけた。

 故郷は心の拠り所として大きな存在ではあるが、それが全てと錯覚してもがいた2年間であったように思う。同じように故郷思考の仲間がいた。私と同じように故郷に何かを求めていたが、そうした人たちの生き方を見て、故郷は何も返してはくれない、答えてはくれないと私は気づいた。何か素晴らしいものがあると勘違いしてしまう。慣れ親しんだ土地柄とこちらを向いてくれる多くの人々がいるから、そこから何かが生まれるという幻想が広がっている。何かを頼っている。寄り添えば安心が生まれるかも知れない。苦しさや世の難しさを忘れることは出来るかもしれないが、我が人生の課題は何ら解決していない。楽しさを共有できても何ら進歩はしてこなかった。
 
 だから、今思う。自分を誤魔化さずに、誤魔化されずに、これを機会に人生の本質に迫ってみたい。一つ一つ答えを出しながら悩みながら階段を登ってみようと思う。本質に迫るには楽な道はなかろう。楽しく過ごすことは良いことではあるが、それだけでは成長はない。成長は苦しみでもある。敢えて苦しみの中に身を投じて人生の真の目的に迫ってみようと考えた。この数日のゆとりの時間に浸りながら思い至った光明だと思っている。

 故郷は 価値の固定の 世と知れり

 紐解けば 新たな価値と 試練あり
 故郷という 幻想の 行き止まり 





2016.9.14 猛暑のあとに潤いの雨・・・

 暑い夏の8月が過ぎると台風と秋雨前線の影響で雨の日が多くなった。おかげで暑さは和らいできたが、カラカラになった畑では刈り取った夏草を集めて燃やす煙があちこちに立ち込めていい感じの夕暮れの時間帯が生まれてくる。でも猛暑の日々で畑に鍬を入れて耕しても鍬が畑の土をかんでくれない。そして、水遣り大変である。少々の水では土の上っ面が湿るだけでバケツに何杯もムズを汲んでこなければならない

 9月に入っての雨は本当にめぐみの雨となった。空いたスペースに小松菜、ミニ玉ねぎ、にジャガイモを植えているが、水が少ないためかなかなか芽を出してくれない。最近になって少し潤った畑の土にレタス、白菜も植えてみた。
今日畑に行ってみると、しっかり根を貼って葉の青みがましていた。ここ2日間はかなりの雨が降ってほっとしている。

  天候も バランス型が 望ましい 
  一ヶ月 雨降らずして 鍬要らず
  過ぎたれば めぐみの雨も 役立たず
  



 

 


2016.8.3  夏が来て思うこと・・・

 本格的な夏が来た。冷房のない玄関脇の事務所で窓を開け放ち、扇風機だけを頼りに日々パソコンに向かう。営業や登記所の社員研修などの用事がないときは汗を拭きながらパソコンと対峙する時間が多い。夕方仕事を終えて畑に出て耕したり、土いじりや草刈りに汗が滝のように流れ出すが、この無心になれる時間がとても良い。自然は偽りの無い心で私たち人間に接してくれるのでほっとする。刈り取った草を集めて高く積み上げ燃やすと黄昏の田園に煙がたなびく。幼い頃からこうした夕方の時間にたなびく煙をあちこちで見ていた。

 仕事上の事情で今年の10月から生活の基本形が大きく変わることになる。この夏はいろいろと整理をしなければならない。これはこの3年間の田舎暮らしに一応の終止符を打つことになる。親の介護という大義名分があったのだが、老後を生き抜くという視点からは、これからが大変な時期である。まだその親が元気なうちに自力で生活できる環境を作らなければならないと考えている。これもただ純粋な親を面倒見なければという思いだけではうまくいかないことがわかってきた。 良かれと思ってやってきたことが逆の効果をもたらすこともある。
 
 つまりは家族のみんなが納得する形が大事だということに気が付く。もしかして、自分だけが良しとする世界に誤って入り込んでいたのではないのだろうか。ひょっとして、周囲の親しい人たちに迷惑をかけてきたのではないのかという不安がよぎる。今の仕事でも会社の運営にも社員のみんなが良いと思う環境が整えられていなければならないと気がついた。全てががバランスよく動いていかないとダメなものなのであろう。こうした思いはいろんな場面に踏み込んでみたからこそわかるもので、重ねた経験が道筋を示してくれるのであろう。

 最近、私の周りで起きたいろんなことも、今の生き方や生活のあり方に見直しを求め、新たな方向性を示唆しているのかもしれない。さして意味のない幻の世界を彷徨っていたのかもしれない。良かれと思って母親と同居をしたが、それはみんなにとって本当に良かったことなのかと思えてくる。自分だけがこれが一番と決め込んで走ってきたのかもしれない。もっといろんな形があったのだろうと思えてくる。
 足跡を振り返り、また気持ちを引き締めて前へ踏み出すことになるのだろう。



2016.6.12 雨のち曇り・・・

 土曜日に休日出勤で法務局研修に参加したため、あす月曜日は振替の休日である。
  以前から同級生仲間とゴルフコンペを計画していたが、この時期、困るのは雨である。天気予報は微妙に変化して気を揉ませている。

  熊本で大地震があって実は練習は出来ていないため、ぶっつけ本番でのプレーとなるが、どうせやるなら楽しくやりたいものである。そこで一番の問題は天気である。週間予報では明日は曇りのち晴れの予想であったが、今朝からの雨が長引いている。明日の朝まで降りそうである。予報を見ると雨のち曇りと変わっていた。仲間たちと連絡を取り合い、具体的に打ち合わせをする。結果、明日の朝の状況で大ぶりの雨なら中止とするが、多少の雨ならゴルフ場に時間通り集合して、その場で判断することとした。

 気心の知れたいつもの仲間たちだから、阿吽の呼吸である。しかし、いかに親しい仲間と言っても、何から何までツーカーというわけには行かない。好きなゴルフということもあってことさら思いやりやら気遣いが働く。人間同士、同じ方向を向いて歩くときには話し合いもスムーズに行くものなのであるようだ。

  雨予報 何とかやりたし ゴルフかな
  念力で ゴルフ日和に してみせる! 
  ゴルフキチ 雨でもやりたい 人ばかり


2016.5.8 天災は忘れた頃に・・・

  熊本を中心とした今回の地震は、九州を横切る別府島原地溝帯の中で発生した前代未聞の大地震である。熊本地方にある布田川断層と日奈久断層で震度7を連続して2回記録したあと、北東へ阿蘇、湯布院、別府と震源が移動し大分地方も大きな揺れを記録する一方、南西には熊本の宇城市、八代市方面に伸びて県境の鹿児島にも地震が余震として発生している。その延長線上に三方や川内の原発があるのも気にかかる。

 どうも新しいタイプの活断層の地震のようで半月を過ぎて体に感じる余震は千回を越えている。今後まだ震度6クラスの地震も予想されるということで被災地域では落ち着かない日々を送っている。

 先月の14日の9時半頃と16日未明の午前1時半頃といずれも夜の地震で、眠れない夜、不安な夜を過ごした人たちは半月過ぎても収まらない余震にストレスが溜まることだろう。天災は忘れたことにやってくると言うが、忘れることができないほどに深い傷を負った多くの人たちが今も不安な気持ちで過ごしていることを忘れないようにしたいものである。

 地震列島の日本では、記憶に残る大きな災害が最近多くなっているようにも感じるが、その間隔が小さくなってきたような気がしている。これからは忘れた頃ではなく、記憶に新しい時期に起こらないとも限らない。今回感じたことは過去の震災に学んで対応できたことも多くあるが、まだまだ過去の経験が生かされていないことも多いようである。
 思うところは、過去の経験を忘れることなく活用して、今後起こりうる大きな震災等にしっかりとした防災意識でひとり一人が備えて行きたいものである。





2016.3.22 静かな思いで・・・

 仕事の流れが変われば環境も変わり、環境が変わればやり方も変わる。先が見えれば人の心も様変わり。ゲンキンなものだと世の流れ。
 あわただしさの中で3月も下旬に入り、間もなく年度が替わり、人が変る。  

 新たに人が入ってくれば、訓練研修。環境整え淡々と、今まで通りの流れを創る。ただ、思うようにいかないのは人の穴埋め後補充。何がどう変わろうと約束した結果は出さねばならない。静かな思いで現状を見つめ、仕事をこなして、結果を出して、約束果たして責任果たす。

 ただ、ありがたいことに困ったときに真実が見える。助けてくれる人もいる。邪魔をする要因もやはり同じくらいに顔を出す。
 だから、やるべきことを確実に進める力が必要になる。あるべき姿を目指す思いが求められる。


 


2016.2.24 戦い前夜?

 今年は「真田丸」が人気である。戦国武将たちの生き様は凄まじい。最近思うことは少し緩んだ自分の生き様を反省している。現役を引退して気が緩んだのか?田舎に帰って思い通りの流れが出来て安心したのか?ゴルフや歌に興じて人生を見誤ることになってはしないか?このところ、一気に仕事や生活の流れの中で躓くことが多い。ワキが甘い!という言葉もある。

 戦国時代はヘタをすれば一夜で落城、切腹である。本能寺で散った信長の言った言葉でよく引用されるのに「是非もない」という言葉がある。責任は自分で取らなければならないのが人の世の常。
 あすの戦いは天下分け目の戦いに匹敵する。どこまでが自分の責任で、どこまでが会社の裁量かわからないが、戦国武将は潔い。何も言わずに城とともに討ち死にで人生の幕を閉じる。そんな美学が底流に流れている。どこか憧れるが、緩んでしまった自分にはできそうもない。せめて意地を通して人生再出発とするか!と心で叫んでみる。

 いやいや・・もっとマシな生き方はないのか?あまり考えないでのらりくらりと生きる方法もないことはない。それを言う人もいる。でも美学に生きたいのが男なのだろう。美しく散ってみようか・・・そこで年の功。散るよりも逞しく生き抜くことも選択肢だ。これも戦国時代の生き様のひとつである。古くに足利尊氏は九州に落ちて、再び京に返り咲いた。家康も三方ヶ原では死ぬ思いをした。馬上で脱糞したことを一生の戒めにしたという。美しいばかりではだめだということなのだろうか。



2016.1.4 仕事始めの朝に・・・
 
 仕事始めの今日は早起きし、夜明けの海辺を歩いてみた。まだ顔を出していない太陽を待つ。太陽が昇る前の港には浜辺沿い街灯の明かりがまだ暗闇を照らしていた。私はこの夜明け前の暗黒から溶け出したような濃紺の空色が好きである。その色は刻々と変化して水平線の方の目へ落としていくと綺麗なブルーへと変化していく。そのブルーのグラデーションに魅了される。
 昔、海水浴でよく来た浜辺を歩けば、水平線上の淡いブルーに朱色の光が空を染め上げていく。水平線上を覆っている雲の切れ目からオレンジ色の太陽が頭を出す。一旦顔を出すと太陽の動きは案外早い。あっという間にその全貌を表し海面上に金色に輝く道ができる。誰かがカメラを構えてシャッターを切っている。私も手に持ったカメラで既に何枚かの画像を収めていたが、最高のポイントを探しながら浜辺を小走りに走る。取りあえず、朝日を引き立ててくれる被写体を探す。サポートしてくれる突堤や船を構図に取り込んで見る。その間にも陽は上っていく。何度撮ってもこのタイミングを追いかけて構図を決めるのが案外楽しい。何枚か良い写真が取れた。
 仕事始めの朝、良い天気と荘厳な日の出を見て、今年も良い年になるようなという気がしてきた。いつも歩く浜辺の空気が優しく感じられた。

 
 

2015.12.19 故郷の朝を歩く

 朝の散歩には寒さが堪える時期となってきた。田園の中を歩いていると東の空が赤く染め上がっていた。カメラを取りに戻って海に向かった。今日は日の出の水平線の上の空が鮮やかな赤に染まって、何枚か写真を撮った。そして、武蔵マリンパークの方にできるという施設を見る目的もあり、大分空港の近くまで足を伸ばした。
 武蔵マリンパークの中には多くのクルーザーが停留されており、まるで映画の一シーンのように素晴らしい景観だった。最近民間に払い下げされたが、綺麗に整備されていた。ただ、知人から聞いた情報でのフランス料理のお店は見当たらなかった。
 昔、六郷満山の修験者たちが海に出て行った修行の道場跡や古墳群の看板もあり、古くから大和朝廷からの国司などが瀬戸内海を渡ってきたようである。いろんなものに触れた楽しい朝の散歩となった。普段は8000歩程度だが、今日はさすがに1万を軽く突破していた。

   ふるさとの 朝日の浜辺や 師走かな 
   師走風   たどる浜辺の  過去未来


  


2015.11.21  タイアップ効果を目指して

 相続や遺言書の必要が話題となっている昨今である。
、お客様が足を運んで頂ける企画をいろんな店舗が戦略を立てているが、専門性をカバーするために金融機関等ではロビーでの無料相談という手法がよく取られている。最近はお客様もよく勉強されていて、幅広いニーズに対応するためにはいろんな業種がタイアップして施策展開をすることが多くなっている。
 昨日、ある士業の各県の会長さん方が集まって、金融機関でのロビー活動として連携を図っていこうという取り組みがあった。組織と組織がタイアップすることで1+1=3という相乗効果図ることが有益ということで、会合がもたれた。お互いのメリットを活かしてお客様の立場に寄り添っていく試みを展開することとして交流が図られた。
 今後に大きな期待が寄せられているところである。





2015.9.30 ふるさとの秋に思う・・・

 高校を卒業して以来、長い空白を経て移り住むふるさとの顔は様々である。学生時代の帰省や家族を伴っての夏休みのふるさとの楽しい思い出はもう遠い昔のかなたであるが、定年を迎え、第二の仕事も勤め上げたあとふるさとに舞い戻って見聞きするふるさとの様子はずいぶん変わってきた。高齢化で過疎の道を辿る故郷の姿はなんだか寂しいものを感じてしまう。咲き誇る彼岸花も憂いを帯びて佇んでいるようだ。
 ふるさと活性化の取り組みをしている人も多く、一部の地域やエリアでは元気な声が聞こえてくるが全体的には先細りの流れが覆ってしまている。誰もがもう仕方がないと諦めているようだが、そうした中にも日々を穏やかに笑顔で暮らしている人々を見るにつけて人の幸せとは何かという事に行き当たる。心の豊かさというものを考える。自然に生きるということの大切さを思い始めているこの頃である。


 



2015.7.28 三隈川と鵜飼船

 日田の川開きは早々と5月に行われたが、歌を歌う仲間たちのたっての希望で屋形船に乗ることとなった。カラオケメンバーの一人が船の上で宴会をやり、歌を歌ったら楽しいだろうと提案したのが4月の定例会だった。幹事を引き受けてなんと5回も日田に足を運んだ。熊本と大分を行き来する時に三隈川沿いのホテルを探したところ、以前来たことがあるホテルで料金も手頃であった。船を貸し切るためには最低10人の参加者が必要で、この点については各メンバーがよく協力してくれた。

 夜のとばりもすっかり降りて、屋形船の提灯が点灯すると気分は最高!天領日田の川面に吹く風は日中の気温のぬくもりを引きずって生暖かいが、水上にいることがとても快感を誘う。かがり火を焚いた鵜飼船が近づくと気分は上々でみんなの顔も笑顔であふれる。よく躾けられた鵜の鳥は水に入って魚を潜ってとっていた。

 夜が更けるに伴って、酒も回り、歌となった。船でカラオケを歌うのは初めてであったが、最高の雰囲気と舞台でそれぞれ満足してマイクを握りしめた。仲間が歌った長良川艶歌はこの雰囲気にぴったりとあって拍手喝采を浴びた。




2015.7.2 花も競いて・・・
 鬱陶しい雨の多い季節ではあるが、気分を変えて庭を歩いてみると意外にも静かに花たちの競演の世界がそこにあった。よく見ると花びらや葉っぱに真珠の雫が光って瑞々しさが一層引き立っている。花たちは自分たちが今できることを精一杯に表現しているのだろうか?平静を装ってはいるが、心密かに美しさを競っているのかもしれない。「どう?綺麗に咲いたでしょう!」と自信に満ちているようにも見えるが、「まだまだこれから綺麗に咲くよ」と健気な力強さも感じられる。花は見る人の心の鏡なのかも知れない。

 梅雨空や 心の鏡に 映す花




2015.6.13 50年ぶりの珍客!

 先日、東京から珍しい友人が顔を見せてくれ、数人の同級生仲間たちと交流会を開いた。
 高校を出てからほとんど会ってないからもう50年近い。なんと半世紀ぶりだと思う。
 実は彼は、脳梗塞で体が思うように動かないが、友達の力を借りて我が家を訪れてくれた。高校まで柔道をやっていて体格も良く、まさか歩くのもやっとという状態でいるとはびっくりしたが、同級生のスナックで乾杯して歌も歌った。喜んでくれた。彼は記憶力が良く、我々がすでに忘れていることをポロリポロリと話してくれた。懐かしいエピソードもいくつか出てきて、ほかの仲間たちも「そんなことがあったな」と当時を振り返って、少しだけ新鮮な時間を味わいながら、次は古希の会をやろうと声を掛け合って解散した。

  夜もふけて 歌と酒に 酔いしれて   半世紀! 同期の絆は 深まりて     時越えて 昨日のような 笑顔あり



2015.5.30 年次総会

 忙しいスケジュールの中で、やはりこの大会は出席をしないととずいぶん前から気になっていた。特に今回は会長の選挙があった。ここ10年は対抗馬もなくある意味ではそれなりの人がそれなりにみんなに支持されて運営してきたのだろうと思うが、選挙で人を選ぶというのも緊張感があっていいのかもしれない。
 普段、あまり深く考えないで会の運営に身をゆだねてきたが、立候補者のスピーチを聞き、将来を見据えた会の運営と我々の地位向上と認知度を高めたいという思いに感動し一票を投じた。選挙はしっかりと選挙管理委員のもとに厳正にかつ公正に執り行われた。こうした手法もなるほどと勉強になった一面である。
 また、いろんな会員のみなさんの普段とは違った一面も垣間見ることができた。地位向上のためには我々一人ひとりがしっかり研鑽していくことが求められ、その点では多くの方々が、この選挙でそれを感じた事と思う。そうした意味でも今回の総会は意義深いものであったと思う。


人がいて 組織が動いて 地位向上
誰がやる 私がやります 手を挙げて
総会が ピリリとしたよ 選挙戦 




2015.5.9 浜松からレンターカーで!

 中等部14期生の集まりに、九州組は御前崎灯台を目指して、浜松駅で降りてレンターカーで移動した。観光地で結構フリーで小回りが効くのがレンターカーでの移動である。
 この日も東京組と御前崎灯台で合流して焼津に向かったが、途中で立ち寄った「大鐘家」の大庄屋としての歴史に触れ、400年たったという茅葺きの家は素晴らしかった。仲間の一人が思い出の地をたどって昔を忍ぶ思いに、みんなで協力できたこともレンターカーならで
はの旅だからこそであった。





2015.3.31  さあ桜も満開!新たな年度がスタート・・・

  忙しい一日が終わった(・ー・)オワッタナ・・・
  時間がもう少しほしいものだと思った人も、今日は多かったのではないでしょうか。年度の切り替わりで人事異動の時期でもあり、多くの会社では決算期を迎えて、てんてこ舞いのところもあるのでは?卒業、入学と行く人来る人・・・出会いと別れ。大きな節目の年度替わりである。
 そして、この時期は桜の花の咲き具合に心躍る時期でもある。咲く桜、散る桜に人生の節目を重ねて気持ちの整理をする人たちも多いだろう。私も年度末の忙しさから解放されて、新鮮さを求めて新たな夢に胸を膨らませてスタートラインに立ちたいものだと考える一人である。幾つになっても希望は持ちたいもの。だから、新たな年度が始まるのは嬉しい春の節目、頭の中を整理整頓し直して次の人生目標にチャレンジ出来そうな予感がするから楽しいのだろうと思う。



 春は良し 桜が誘う 夢の路
 人生の 分かれ目節目 輝く目


2015.3.11 面白風景、珍しい景色!
 年度末で仕事の方もさすがに忙しくなった。難しい仕事ではないがあれもこれもと重なってくる。時間が足りない。調べて報告することも期限が迫っている。今年度をもって辞める人がいるから4月からの人の採用にも動かないといけない。ハローワークには思うように情報が入ってこない。時間管理とスケジュール管理がポイントとなる。
 一方で、各職場を回って現状を知らねばならない。今日も県内を精力的に回った。多くの人にも会った。行動することがまず求められ、内容を整理して、判断をする。方針を出す。組織内の根回しをする。方向性を社内で共有化する。これからも当分、こうした動きを段取り良くこなして行かねばならない。
 それでも、ゆとりの心は持っていたい。車を路肩にとめて疲れを取ることも大切。ふと遠くを見ると面白い風景が目に入る。カバンに入れていたカメラのシャッターを切る。ここにこんな風景があったのかと小さな感動が揺れる。車の運転も苦にはしないが、行く先々での自然が心を癒してくれる。天気が良ければ切り取った風景も色鮮やかだ。今日は玖珠町を走りながら綺麗な山々や奇岩が連なる宇佐の庄が印象に残った。



  こんな山 誰が置いたか 何時置いた?     
  面白い! 自然は天才 芸術家! 


 2015.2.28 ジェットストリームへの誘い(写真展)

 熊本にある新聞博物館で面白い写真展があった。友人の誘いで、あの学生時代の深夜のラジオ番組「ジェットストリーム」への世界を写真と音楽で楽しむことができた。
 昭和の時代に遡るが、勉学に勤しむ我々世代は深夜の午前零時から流れる綺麗な染み渡るような音楽に合わせて城達也のあのナレーションに聞き入ったものである。私も大学受験や大学に入ってからもゼミの宿題や試験勉強の際にラジオのこの深夜放送を聞きながら過ごした思い出がある。
 阿蘇熊本空港は高い台地にあることから夕日がきれいで、航空機とのコラボレーショーンで多くのプロ、アマの写真家のナイススポットとなっている。10時からのオープンに合わせて会場を訪れると、友人が待っていて会場を案内してくれた。会場ではミスターロンリーの音楽が流れ、夕日にかぶさるようにジェット機がいろんなアングルから撮影されて、見事な写真が並んでいた。久しぶりに学生時代の思い出に浸りながらゆっくりした時間を楽しむことができた。人は、ある時は視覚で、ある時は聴覚でこうした心の栄養を補う静かな時間を過ごすことも必要なのだなとつくづく感じ、心地よい時間を過ごすことができた。


 試験前 徹夜のコタツで 聴くラジオ
 頑張った 学生時代の 深夜便
 駅前の 屋台で一服 深夜便

 
  懐かしき 学生時代の 思い出は 深夜のジェットストリーム



2015.2.9 心の豊かさ、納得の時間!

 人は心の安らぎをどこに求めるのだろうか。ふるさとの環境は確かに心が安らぐ。趣味や仕事は、それを通じて達成感や充実感は味わうことが出来る。地域活動やボランティアを通じて社会の役に立つということが生きがいとなっている人も多いだろう。生涯を通じて学び続けることに意欲を燃やす人もいるだろう。しかし、歳を重ねると、そうしたものの結果として心に跳ね返ってくるものとは何か少し違うものが何かあるのではないのかと考えることがある。

 子供たちの成長を楽しみにし、家族がいて、安定した一家団欒が心の支えであり、それが励みとなって頑張ってきた世のお父さん方も多いだろう。単身赴任も苦にせずに走ってきた人、それを支えた専業主婦や共稼ぎの世の奥様方も大変なご苦労の世界があり、語り尽くせない思いがあるだろう。そうして歩いてきたそれぞれの人生に「乾杯!」と杯を上げたいと心から思うところではあるが、その先にある人生を真に豊かなものとするものは何のかとふと思うことがある。

 高齢化がもたらす限界集落、老人の一人暮らしの問題。老老介護・・・これまで頑張ってきた主役たちの行く先が大いに不安である。人生が物質的に恵まれて、生活が便利になって置き忘れてきた心の豊かさがそれぞれにあるような気がする。今流行りの還暦の会、古希の会で盛り上がる同級生グループが新聞やテレビを賑わせているが、そこにあるものは過去を懐かしむことに心の置き所を求めているのではないのかと自問自答してみる。

 人はやはり一人だと寂しいものだと考える一方、一人の時間を楽しむという気風も別にある。心の豊かさとは人それぞれのものなのだろうか?友人と語り合うのは楽しいものだが、同じ趣味で時間を共有できるときはそれは倍増する。仲間たちで競い合うのも、学び合うのも、同じ方向を向いて同じ目的を目指してグループ活動をすることも心の支えとなって豊かさを生み出すこともあるだろう。心の豊かさをベースにして、いくつになっても自分が納得できる時間が持てる環境と空間があるといいなと思ったりするのは私だけだろうか。


 


2015.1.14 新春の集いでの「粋な噺家」
 
 今日の会合での目玉に落語があった。学校長をしていて、「江戸の粋」を求めて活動をしている中でいつしか自ら落語にのめり込んだという面白い話があった。何とボランティアで落語をやっているというその人の話に引き込まれた。
 学校の先生だから、江戸文化の研究をしていて、日本人の心情を伝えていくことを活動の中心に据えつつも、自らまた楽しんでいるという風に感じ取られた。そもそも落語のことを「高座に上がる」といい、これはもともとお坊さんの説法の前に少し面白い話をして説法を盛り上げることから始まった仏教の世界の話から「落語」が生まれたという。
 そして、落語の風俗に学ぶ江戸庶民の粋としぐさは世界でも希にみる「江戸」という文化芸術を育んだ時代にあるという。さらに日本人の美学がここにあるという。この花開いた町人文化の中で、ビジネスマナーや現代に通じる洒落た生き方や公共マナーが生まれ今に息づいているいうことにすっかり納得してしまった。
 最近よく言われる「肩引き」「傘かしげ」とか「こぶし腰浮かせ」など江戸時代に育まれた生活の知恵が日本人の心に根付いている。オリンピック誘致で脚光を浴びた「おもてなし」の心もそれである。
 なつかしい昔の仲間や先輩たちと盃を交わす会合で今日の落語はなかなか愉快な時間を私たちに提供してくれた。日本人は素晴らしいなと改めて感じつつ、今年は粋な生き方に注目してみようかなと思った次第である。



2014.12.31 さよなら、2014年!

  月日のた経つのは早いもの。今日は大晦日。世の中は超高齢化社会に突入して介護全盛時代に入りつつある。我が家も田舎で一人暮らしの母の面倒を見ることで、私がふるさとへ再びの単身赴任と相成った。ふるさとに帰って見ると昔の目抜き通りもすっかり寂れて高齢者の世帯が大半を占め、空家も半数以上となってしまっている。親しい人もいなくなって寂しい日々を送る人もいる。人生の節目を大切にしながらも世代は少しづつ代わってさらに進化して行かねばならない。
 ありがたいのは同級生仲間たちである。いろいろと気に止めてくれたり、旅行やミニ宴会などを通じて昔話に花を咲かせて交流があるので、それなりに楽しい時間を共有できる。しかし、それだけでいいのかなと疑問に感じることも多い。年を取っても元気なら働いて税金を納める側に居るにもいいが、日々ただ単に楽しく過ごすというだけでは何か物足りない。
 人はいくつになっても生きがいや社会的な役割みたいなものが目の前にあると生き生きとしていられるのかも知れない。地域のためにささやかな貢献ができるというのも良いだろう。実際いろんな奉仕活動をしているグループもある。その中で自分の人生をどう投影させていくか、どう表現していくかということとなると少し難しい。 いずれにしても今年は今日で終わる。田舎暮らしをスタートさせた年も暮れていく。
 さあ、新しき年を迎えるに当たっての気持ちの切り替えも大事なこと。今年の年頭の日記には「継往開来」という言葉を掲げてあったが、さてさて、来年はどう生きるのか?実質的な新たな単身赴任を踏まえ、来年の一年間が新たな生活パターンを定着させていく大事な年となりそうである。本格的な老後対策に磐石な基盤を作って行かなければならないだろうと大晦日にふと今年を振り返り、新年へ向けた心の準備をしなければなと思ったところである。



  行く年の あれこれ有りしも また新年!
  切り替えて 年が変われば ゼロダッシュ!


2014.12.23 天皇誕生日でくつろぎの一日
 今日は国民の祝日。今年最後の祝日でのんびりとしつつも家の中の整理をして新しい年の準備をすることができた。夏から始めた野菜作りも友人のアドバイスで追肥を施すために久しぶりに畑仕事も行い、夜は地域活動での書き初めの準備会に参加した。今年もあと数日となったが、大きな変化の中で新たな価値と遭遇し学ぶことも多くあった。
 田舎暮らしもすっかり定着してきたが、故郷での人間模様も新たな発見があり、戸惑いや難しさを垣間見ながらも、心の鍛錬を積んで少しづつ成長できている実感を持つ。昨日は冬至だったようで、ふるさとで季節の風を感じながら自然にふれあいながら心豊かに生きて行ければ良いと考えている。心を惑わす日々の出来事もふるさとの風土がやさしく包み込んでくれるからありがたい。自然は深く偉大である。

  ゆったりと 暮れて師走の 寺の鐘
  故郷や かぼちゃを食べて 冬至る



   


2014.11.30  明日から師走!

 早いもので、今年もあと1ヶ月。8月からの故郷での生活もはぼ順調に推移して、持ち込んだ仕事もひとまず軌道に乗せることができた。何も問題ないだろうと考えていた一人暮らしの母親との共同生活のリズムが一番難しいこととして残ったが、ある友人が「それは親子でも違う思いの人間が暮らすのには時間がかかるよ!」と話していたが、高卒以降の空白による価値観の違いを乗り越えて少しづつバランスを取れるようになってきた。
 そういった意味では今年は大きな変化の年であった。夕方に勤務が終われば、貸し農園に出て野菜づくりに精を出したことも、地域との中断を埋めてくれている。地域行事にもなるべく都合を付けて参加するようにしてきたが、田舎に残っている同級生が良くカバーしてくれている。
 ふるさとに帰ってきてすぐに始めた朝夕のウオーキングは健康の視点で始めたが、地元を知る機会にもなり、地域の人とも挨拶を交わし楽しみのひとつとなって今も続いている。体の調子も良く、健康の数値も向上した。快適な夏から秋の季節が終わり、これからは冬の季節に入る。田舎の冬は寒さがこたえる。
 この冬もできれば快適に過ごしたいものではあるが、まずは明日からの師走を良い形で締めくくり、熊本で頑張ってくれている家族とふるさとの生活とをうまく両立させて、この2014年が記念すべき良い年で終わることができるように・・・と考えている



 自然がいい! 自然でいいね! ふるさとは・・・・ 

2014.11.22 今日はいい夫婦の日!

  現役時代には仕事場の窓口ロビーで「いい夫婦の日記念絵画展」やお客様サービスとしてのイベントを良く行ったものである。社員とともにいろんな企画を出して賑わいを作ったものだが、年を重ねて「夫婦観」も少しずつ変わってくる。長年連れ添ってきた時間の重みと相互に尊重し合ってここまできたという絆は深い。しかし、どこの家庭も子育てで大変な思いをして、我が身を忘れて懸命に働いてきたことと思う。そして、人生の節目であるライフイベントとしては、入学、卒業、就職、結婚、そして孫の誕生と果てしなく続いて行く。
 ようやく、手が離れてほっとした時は、ほとんどの親たちが老後の生活に入っている。さあ、夫婦でゆっくり旅行でもしてこれからの余生を楽しもうということになる。でも、これは夫婦二人が健康で過ごすことができ、子供たちも順調に成長してくれた場合の話であり、世の中がすべてこうスムーズに行くわけではない。
 また、健康に恵まれても老後生活に入って見ると、今は長生きの時代。年金生活ではそう度々旅行に行って楽しむということも制約があろう。共通する趣味や価値観も様々で、いかに夫婦といえども何をするにも一緒というわけにもいかないのが常であろう。
 老後にもそれぞれ個性を活かした生き方があるだろうし、自由な時間も工夫しなければならないだろう。「いい夫婦」といってもどんな形が良いのだろうか?と考え込んでしまう。 とかく、人間という生き物は年を重ねると頑固で自己主張も強くなる。世に言う「いい夫婦」というものは多分、決まった形はなく、結婚した時と今も変わらず常に同じ価値観で一緒の時間を共有できている、そしてお互いがそれを認め合っているという状態が理想なのかも知れない。しかし、現実はどうなのだろう。
 少し意地悪に考えると、意見も異なり、口論もしつつ違う個性で生き抜いてきたお互いが、せめて今日のこの日ぐらいは相手の個性に心を配り、互いに歩み寄って共通の時間の中で有意義な一日にしようと目標設定したものなのではなかろうか?そう考えると今日の「いい夫婦の日」は、長年連れ添った夫婦がお互を認め合い、さらに新たなスタートを切ろうと決心する日ではあるまいか!
 
   いい夫婦  今日からスタート 記念(祈念)の日


2014.11.3  熊本で3連休!
 文化の日は毎年家族の誕生日でお祝いをするが、今年は1歳になる孫娘が熱をだして、もう一人の3歳の孫に風邪をうつしてはいけないということで、我が家にお泊りに来ているという。1日の午後急遽熊本に戻り、この3連休はやんちゃ盛りの孫の世話に明け暮れた。
 熊本の我が家には犬のフレンチブルがいるが、犬が孫の顔を舐めるといけないので、孫と犬を交互に外につれだしたり、部屋の中では、交互に抱っこしたりで犬と孫が接近しないように気を配るなど大変な休日となった。
 体力的には私が一番と孫のお相手は私の役割?「ジージ抱っこ!」「ジージお外に行こう!」とすっかり妻と娘の作戦にはまってしまった。
 昨日孫を連れて買い物に出て、その時にお店にあるブランコに乗って喜ぶ孫を見て、このあと、坪井川遊水公園の中にある大きな遊具施設に行こうかと声をかけると、満面の笑みで「行く!」と二つ返事。公園に着くと、ジャングルジムみたいな高いところに付き添って登るのは「ジージ」の役割と初めから決まっている。体力のない?妻はベンチに座って遠見の見物と決め込んでいた。挙句の果てには帰りは手をつないで歩いていたが、途中から抱っこをせがまれてしまった。
 今朝起きると、首筋や背中や腕が痛く、早速体に影響がでてきた。昨日、孫のお相手をして、まだまだ体は動くからとつい頑張りすぎたようだ。孫と一緒に過ごせることは楽しいことではあるが、一方で体力を伴う過酷な労働でもあるということを改めて感じた休日となった。




 孫と犬 体力勝負の 3連休
 孫のため 労働奉仕の 日曜日
 秋の日の 日差しに笑顔 孫の声 


2014.9.21 早朝に一汗かく!
 朝の散歩は、ふるさとに帰ってきてすっかり定着したが、ささやかに農園を借りて野菜作りに挑戦して、鍬を抱えて畑にいく機会も多くなった。土いじりがこんなに楽しいとは思わなかった。少し早起きしたご褒美は天にも昇るような爽快感である。
 先日、畑に向かうあぜ道にお彼岸を知らせる赤いつぼみがちらちらと咲き始めていたが、夕方に通って見るとまた少し伸びていることに気づいた。時を刻む不思議な生命力は確実にお彼岸を迎える準備をしているなと驚いたものである。

  朝よりも 伸びたり畦の 曼珠沙華
  忘れずに 季節を知らせる 彼岸花


2014.9.18 地元発見・ウオーキングで健康増進一挙両得!!

 我が故郷も歩いてみるといろんな観光遺産や資源が眠っている。仕事を持って地元に帰ってきて朝夕のウオーキングや週末の休日を利用して、「こんなところにこんな歴史的遺産があったのか?」と思うことが多い。長く地元にいる人は当たり前だが、単身赴任で長年各地を転々とした目で見ると素晴らしい文化遺産も多いなと感じるし、これから発見、開発していく余地もまだまだ多い。
 過疎化に取り組む町やUターンの人たちの情報も入ってくるが、未だに発展しない地域も多く「故郷創世」が真に動き出せばいいなと感じている。わたしも微力ながらこうした地域の活性化に尽力できたらいいなと思ってはいるが、まずはふるさとでの私自身の自立である。幸いにもこうした思いに理解の深い仲間もいて応援してくれる。時間はかかるが自分の足でしっかり情報を集め、地域の実情に沿いながら少しづつ推進を図っていきたいと考えている。

  積み上げし 文化の香りと 人の知恵
  活性化 掛け声聞けど 伸び悩み
  改革は 理入にあらず 行入で




2014 8.22 久々に「月初めの会」
 県庁に勤務していたMさんをチーフに異業種のユニークなメンバーが楽しく酒を酌み交わす会がある。そして郷土の活性化を考えて議論を交わす。みんなそれぞれに事業を経営したり、会社の中心にいてがんばている人達である。チーフが時々の話題や県政、市政のメモを作って配布してくれる。歳はとってもみんな熱い。いろんな意見が飛び交う。それそれの近況報告もあるのが、楽しい。今回参加できなかった人からも伝言メッセージがある。また次の集まりを楽しみに散会したが、珍しくわたしも二次会に参加した。
 二次会では、体調を気にしていたSさんも焼酎の水割りを薄くして飲んだ。30年近くも続く付き合いの話でまたひと盛り上がり。
 少し時間も下がったが、こんな飲み方が実に楽しい。

  ひと昔、ふた昔前の武勇伝 輝く成果に 納得の酒
  
  酒のめば 良き友良き日の 良き仕事
  団塊の 勢い今に 時事放談 
  共通の 話題は介護 親の世話


2014.8.1 新たなスタートへ 辞令交付
 いろんな事があり、いろんな思いを胸に抱いての新たな出発である。家族にも、会社にも感謝しつつ、今日のスタートにたった。ひとつの地域を任され、成果を上げる事が求められる。個人としては地域の活性化がテーマ。自分の力で地域を変える足がかりを作りたいと思っている。
 昔からの夢がひょっとして実を結ぶかも知れない。これまでにも、自分で切り開いてきた道がある。目指す方向が正しければあるいは多くの人が求める価値に沿うものであれば、きっと成果が表れると考えている。さあ、これからが楽しみである。価値を共有できる仲間もいるはずである。楽しんで仕事をして、結果を出し、会社を支え、地域に変化とエネルギーを生み出して行くことが今の自分の使命だと考える。今回のこの辞令は私に与えられたチャンスであり、求められたものだと思っている。
 今日の辞令をを受けながら、気負いではなく自然とそう思う気持ちが全身に満ちるのを感じた。

  思い出す 現役時代の 熱き夏
  繰り返す 紙一枚の ドラマかな
  貫いて 「夢」一文字の マイウエイ 



  



2014.7.7 「王様の執務室」が完成!
  今日は七夕。熊本は大雨に見舞われた。最近では梅雨期のゲリラ豪雨も当たり前となってきた。友人からテレビを見て大変な豪雨に見舞われいるのではないかと、放映シーンを見てメールが届いた。県内は広いから遠くにいる人は災害にあっていると思い心配してくれる。今の情報化社会は全国リアルタイムで動いているから、その瞬間瞬間の出来事をメールでやりとりしてコミュニケーションが取れるから便利ではある。
 さて、便利といえば、資格を取って、いよいよ人生の第三ステージを飾るホームページを創ることにしたが、今日の七夕が誕生日の息子が無料のサイトからビルダーを使って、記念すべきマイサイトをプレゼントしてくれた。結構しゃれた感じのビジネスサイトが出来上がった。この3か月ほどのあいだ、息子が作ったホームページの枠組みに魂を入れる作業が続いた。時々息子とメールでやりとりしながら修正に修正を加えた。
 やはり、人が見てくれるようなサイトへの仕掛けは難しいものだ。イメージも大事だが、内容の良さを展開できないと人は訪問してくれない。考え抜いた試行錯誤のち、昨日やっと完成した。アップしたのは少し前だが、ようやくすべてのメニューが私のイメージ通りにできた。
 今の会社での仕事も一応の区切りがつき、これから大きく転換して新天地を切り開くこととなる。このマイビジネスサイトがまた新たな心の支えとなり、さらなる広がりを創ってくれることだろう!

        http://www.dmakilife.wix.com/maki-legal-office/



川内に出張して駅前で撮影(26.7.4)


                                                    
2014.5.16 「空気を読むより風を読め!」
 5月も半ば、最近雨や曇りの日が多いが、今日は少し日差しがもどって過ごしやすい日だった。仕事の方もいろいろな懸案事項がそれぞれの答えを見つけて、動き出してくれた。集中して良い仕事ができて週末をむかえた。
 このところ、田舎のことや今後の生き方の方針に課題等が投げかけられていたが、一応良い方向に結論が出たようだ。しっかり考え、流れを見つめながら待つことに集中したことで良い知らせとなった。先々の動きを読んで今あるべき結論を見出すということはやはり大事なことだと感じ入った。いろんな人の意見を聞いてみたのも良かったのだと思う
 残す人生、そう時間がたっぷりあるわけじゃない。今歩く道が将来を創る。今できるだけの良い状況を創ることの大切だと思う。「空気を読め!」というが総合的に将来を見据えるならば「風を読む。」これが大事なことだと思う。



2014.4.6 葉桜に・・・
 今年は、家の前の公園の桜は一気に開花して、あっと言う間に葉桜となってしまった。しかも、満開の時は雨の中でいつものような花見客の賑わいもなく静かに過ぎてしまった。
 昨日は生涯学習の会の役を降り、次にうまくバトンタッチができた。ほっとした反面、今年の桜のように少し物足りない気持ちもどこかにある。それはもう少し、組織化してNPO法人にして活動してみたかったという思いがそうさせたのかもしれない。でも足かけ3年にわたり、良くやったな!良い経験となったなと感じている。
 仲間を創って広がりの中で人間関係を築きやっていくのも大事なことだが、やりたいことがあれば、計画を立てて見通しをつければ一気呵成にやり上げていくことも大切だなと思い知らされた。今年の桜花の開花に重ねて思う出来事であった。







2014.3.3 「ひなまつり」
 ここ数年、我が家では雛人形を飾っていないが、今日は雛まつり。二人目の孫の初節句で息子夫婦の家に呼ばれて、みんなで昼食をしながら祝うこととなった。先日、お宮参りに出かけたので、あまり日もたっていなかったが、顔つきもまた少し違って見えた。雛ケーキを買っていったが、上の女の子が2歳でケーキを切るのを待ちきれずにちゃっかりとテーブルにくっついて離れなかった。
 今日は天気も良く、穏やかな日差しを受けながら息子夫婦の一家団欒の中でまだ首の座らない赤ん坊をみんなで交代に抱っこしてみると、抱っこした人の目をじっと見つめて、名前を呼ぶと「あっ」とか「うっ」とか反応するから不思議だ。
 こんなに小さくても「この人誰?]とでも思っているのかも知れない。握り締めた拳を動かすのに合わせて、小さな手に「ハイタッチ!」と声をかけて、チョンと触れると「ニコリ」と笑う。息子が横で写真を撮っていて、その笑顔を収めていた。
 小っちゃな生命がもうしっかりと動いているという実感と笑顔の純粋さに静かな感動を覚えて、なんだか嬉しい気分になった。


2014.1.5 「寒の入り」
 今日は二十四節気の最初となる「小寒」、いわゆる「寒の入り」で本格的な寒さがやってくるという時期になった。明日から仕事始めで、また気分も新たにこの一年間が本格稼働となる。今年は「どんな年にしようか」と考えながら夕食後近くの遊水公園を歩いてみた。三日月が出ていて明るい夜空に星がきらきらと輝いていてプラネタリュウムの中にいるようなきれいな夜空だった。
 今回は9連休ということもあって、ゆっくりとしたお正月を過ごすことができた。毎年、年頭にいろんなことを考えて、ついつい身構えてしまうが、ごく自然に新年を迎え、肩の力を抜いてスタートできた。今年は良い年になりそうだ。


  寒の入り 三日月蒼し 散歩道
  新春や 宵の三日月  熊本城      
  


2013.12.15 大河ドラマ「八重の桜」最終回!

 師走の風が寒く感じられ、いよいよ今年あと半月となった。そして日曜日の夜八時から放送されてきたテレビの大河ドラマも最終回となった。「八重の桜」の最終回は日清戦争の負傷者を治療する赤十字の看護婦を指揮して清の負傷兵の手当てをする場面からスタートした。維新から20年余りで日本は西欧に学び、富国強兵のもとに目覚ましい発展を遂げ、中国やロシアと戦争をして勝利する。八重は教育に力を尽くし、そして今度は国際赤十字の精神を日本で普及させた。一般庶民での女性としては初の叙勲を受ける場面があった。そして故郷に戻り、思い出の桜の木と対面する。その桜の前で年老いた元家老と再会。「八重の桜」の最終回にふさわしいシーンであった。
 激動の明治という時代を必死に生き、駆け抜けたパワフルな女性・八重の生きざまは象徴的に描かれているが、多くのこうした人々のおかげで、今がある。時代は違っても、平成の世に生きる我々にも感動と勇気を与えてくれるドラマであった。いつもながら歴史上の実在の人物を上手く脚色して、歴史の足跡をたどりながら、未来に向けての示唆と勇気を与えてくれるこの大河ドラマは本当に素晴らしいと思う。
 毎週、この時間を楽しみにしつつ、また月曜日から元気で仕事に励む人も多いことと思う。私もこの番組を見て元気をもらい頑張ってこれた一人である。この番組を見て次の一週間のリズムが生まれてくるから不思議である。


2013.12.9 裸の大将・天才画家の余韻に浸って・・・

 テレビ熊本開局45周年記念・「放浪の天才画家・山下清展」が部屋の机の上に置いたままになって「日本のゴッホ、ぶらりぶらりくまもとへ」というキャッチコピーが目に入る。10月から開催されたこのイベントもあと数日となり、秋の穏やかな日差しにも誘われて「県立美術館に出かけてみると、ものすごい人で長蛇の列。人の多さにもびっくりした。
 会場に入って分かったことだが、多くの人が一つ一つの作品に対して立ち止まったまま動かない。作品に見入ってしまうという表現が適切だろうか?そして個々の絵ごとに山下清のメッセージが書かれていて、これがテレビや映画で見た裸の大将のつぶやきを思わせる自問自答の素朴で純粋な思いを綴っていて、彼の人間性が現れていて誰もが心に刻んで絵と見比べる。だから列は前に進まない。
 それでも会場の人々は列を乱さず半歩進んでは絵を食い入るように見ては時折感想を漏らしたり納得したりしていた。私もこれほど飽きずにじっくりと絵を鑑賞したことはなかったように思う。この山下清展を見終えて美術館の外に出ると、二の丸公園の広場の奥に見える熊本城は夕日に少し赤みを帯びて佇んでいた。家まで歩いて帰ったが、途中で見上げる石垣と城内の木々の紅葉が妙に印象的であった。
 何故か急に思い立って鑑賞した絵画展だったが、部屋に置かれたチラシを見ては当日の感動が静かに蘇ってきて楽しくなるのは何とも不思議な気持ちである。



2013.11.24 勤労感謝の日について

 昨日の勤労感謝の日は、今勤めている会社の研修での世話役で出勤した。働くことに感謝する日であったが、働けるということにも感謝したい。
 まずは健康であること、働く場所があること、仕事仲間とコミニケーションが図れるなどを考えると「ありがたいことだな」と思う。仕事をするということはそれなりに大変なことも多くあるが、何か社会のために役に立っているというふうに考えてみれば明日からのエネルギーになる。
 調べてみるともともとは新嘗祭ということで、「美味しいお米が食べられる」ことに感謝し、生産に携わる人に感謝しようという日本の文化がそこにある。いろんな立場でいろんな議論があるだろうが、西洋風に言えば収穫祭ということになるのであろう。秋が深まるこの時期に食への感謝というのもうなずける気がする。




2013.10.27 東京の新名所 「キッテ」

 以前から丸の内にある新名所の「キッテ」に行ってみたいと考えていたが、今回の上京で念願がかなった。思った以上に立派な施設に生まれ変わっていたのにはちょっと感動ものだった。多くのお客様でにぎわっていたが、あの東京中央郵便局がこんな風にリニューアルして生まれ変わるとは本当にびっくりである。驚いたことはもう一つ。なんと郵便局長の部屋がそのまま残されていることで、粋な計らいに思わず「なるほどこれは良い企画だ」なと心の中で叫んでしまった。
 三角形の回廊を巡りながらいろんなテナントが店をだし、楽しいショッピングモールの中を1時間ほど散策を楽しんでしっかりカメラにも収めることができた。





2013.9.20

 あんなに暑い日々が続いた今年の夏も、ようやく9月に入って少し落ち着いてきた。「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざを思い出す。この三連休は九州では天気にも恵まれた。秋らしい季節の訪れでほっとしている人も多くいたことだと思う。
 中学校を卒業して50年。思い出の修学旅行が企画され、次は古希の会だとみんな元気だった。健康が一番だなとつくづく感じたシルバー修学旅行だった。連休最後の日は熊本に帰ってきて、生涯学習の仲間たちと八景水谷公園でのスケッチ大会に参加した。イベントを主催する立場で一番心配なことはやはり天気。おかげで穏やかな日本晴れの中、無事に終了することができた。少しばたばたとした三連休であったが、達成感と安ど感とが絡み合った不思議な気分であるが、感じることは健康と天気に感謝し、また次のステップに弾みがついたことが何よりも良かったと思う。





 2013.6.2

  何とも時間の経つのも速いもので、もう衣替えの6月だが、今年はすでに梅雨入りして蒸し暑い。また暑さのスピードも年ごとに早まって、職場ではスーパークールビズで5月から軽装となっているが、今年の暑さは尋常でないようだ。
 新しい職場にも何とか慣れて第三のステージの過ごし方のリズムができてきた。立って働く時間が長いために体重が2から3キロ落ちてダイエット効果もあるようだ。しかしまだまだ余裕がなくて川柳などを作っているどころではなく。仕事を終えて帰ってくるとまず体を休めて、ビールか水割りを飲むと疲れのせいか酔いの回りが速い。夕食を済ませて横になってテレビを見ていると、そのまま寝込んでしまって家族に起こされてベッドに倒れ込むようである。もう朝かと思って時計を見ると、まだ夜中の12時過ぎということもある。
 少しきついと思う時もあるが、仕事をすることで体力維持ができ、健康で過ごせるのかなと思いつつ、暑さにも負けないで頑張れる事を感謝している。


 2013.4.8
 少し春の休養をしたあと、本日から、取得した資格を磨くための新たな会社への初出勤となった。今までのようにはいかないとは思っていたが、すべてが新しく不思議な緊張感と安堵感が同居したような感じを抱いた。永年描いてきたイメージに近い仕事と言うことが何よりも楽しさを与えてくれるが、やはり責任感も手伝って気持ちも張りつめた部分もある。それが心地良い緊張感となっているのかも知れない。
 生活のリズムも少し変えながら、楽しんでこれからの仕事人生を過ごしてみたいと考えている。


 2013.3.22  送別会を終えて・・・・

 第二の仕事も丸5年を経過して、この3月末を持って退職の運びとなった。、送別会を終えてふと空を見上げると、月明かりに天空を敷き詰めるようにあちこちに薄い雲の広がりが夜空に輝いていた。さらによく見つめていると雲の合間に北斗七星が横たわっていて、春のひんやりとした風をうけて、酔い覚ましに家まで歩いて帰った

 今の会社に第二就職した時に、「再就職 昔の部下が いま上司」という川柳を作った当時の思いが蘇ってくる。しかし、郷に入っては郷に従えという諺どおり自らを順応させてもきた。現役がやりやすいように目配り気配りするのも我々先輩の役割でもある。人は現役時代は権限や予算を持って組織運営をする。しかし現役を引退すれば今までの力を失い寂しさはぬぐえないが、人生順送りで、老兵は去らずとも一歩二歩引いて若手社員をたててバランスをとって行かないと組織は成り立たない。
 そう言った中、何を目標に生きていくべきか?意地もプライドもひとまず横に置いて、組織全体のためを考えて身の振り方を考える。そして脇役に回る。脇役でありながらしっかりとした見識を持って、時には厳しいことも言う、苦言を呈すということも必要である。実際にはここが難しい。そうした難しさを抱えながらの5年間でもあり、身をもって体験し勉強をした。人はしっかりとした信念を持っていないと苦境で自分を見失うことになる。 
 私が途中で投げ出さすに仕事を全うできたのは、任された仕事は責任もって処理し、その上で自分自身を磨く事に力を入れたことで、自分の生きていく道筋を明確にできたからだと思う。その結果部内の資格や部外資格としての宅建と行政書士の資格を獲得した
 そして今日、退職に当たっての挨拶を行った。そしてこの5年間の自己評価をほぼマルとし、今の心境を川柳にした。
 
   ○(マル)で良し □(資格)もとれて 更に良し!

 会場は笑いに包まれた。そして次の予定の仕事も紹介をした。さらに頑張る自分をPRした形となったが、これで良かったのだなと納得をした。
 送別会を終えて気分は爽快だった。しがらみから開放されて新たな第三ステージへのスタートに立ったことを感じて、月明かりの弥生の夜空が綺麗だった。そしてそこに祝いのメッセージであるかのように夜空をまたぐ北斗七星があった。

   送別の 宴終え春の 北斗かな



 2013.2.27

 如月は我が誕生月で他の月に比べて特別な思いがある。年度末に向けての忙しい月でもある。今年はまた私にとって大きな意味を持つ激動の月となった。これまでの努力が報われた月でもあり、新たなチャレンジの2月でもあった。
 人生歳を重ねるほどおもしろい!と言うのが実感で、近頃特にそう思うことが多くなった。人生の深みに触れ、人の生き様を見極めつつ、自分がこれから歩く道に新たな投資をして踏み固めて行く。やりようでは更なる新たなステップアップを楽しんで、自分を振り返る時間がこれからの人生80年、90年の道筋を創っていく。
 誕生月を迎えるたびにまた一歩階段を上って今まで歩いてきた道を振り返ると、昨日の自分がそこらに歩いているが、はるか遠くには思いでの道がつづく。懐かしさに一息ついてまた前を向いて歩き始める。いろんな経験を噛みしめて踏み出す一歩一歩に今までとは違った意味を見つけることができる。そこに新たな味わいの世界が広がるから深い、だから若いとき味わったことのない一歩を踏み出すことができるのだなと感じる。
 さあ、次の弥生の月はどんな色合いになっていくのか・・・・これがまた楽しい!
 


2017.1.27 県民交流センターパレアにて・・・・・



 先日、生涯学習の企画会議をくまもとパレアの9階打ち合わせコーナで、次の企画の「おもしろ健康教室」で講師をお願いしているSさんにも参加いただき、運営内容について話し合いを行った。ボクシングエキササイズや手軽にできるストレッチから「スポーツ吹き矢」での腹式呼吸の大切さなど熱のこもった話し合いとなった。
 考えてみると、生涯学習インストラクターの資格をもった仲間達が時間と知恵を持ち合って、それぞれ忙中閑あり方式でのボランティア活動となっているが、役割分担をしっかりと行って、この一年それなりに内容のあるイベントを実施することができた。
 手探り状態で試行錯誤の感もありなあがら、「スケッチ教室」「生け花教室」「短歌(独楽吟方式)教室」「子供短歌教室」と行って良い経験をつんで来たなと考えている。総仕上げは「健康教室」でこれも成功させたいものである。
 県や市が施設を提供してくれ、県民交流館パレアの職員やウェルパルのスタッフの方々にも大変お世話になっているが、行政がこうした生涯学習の取組を支援して環境作りをしてくれていることにも大いに感謝したいと思う。
  

 2013.1.10

 いつもとは少し違った気分で迎えたお正月も、7日からの仕事始めで次第に平常モードに戻ってきた。
 それにしても正月とは疲れるものだ。今年は初孫が1歳と4ヶ月になり賑やかな元日となったが、部屋の中をよちよち歩きで元気に良く歩き回った。孫が帰ったあとは嵐が過ぎ去ったあとのように静かになったが、疲れもどっと出てきて「孫は来て良し、帰って良し」と昔私の祖母がいっていた言葉を思い出した。
 そして今日は早くも正月の10日。昨年念願の宅建試験に合格した嬉しさも薄らいできたところに、新たな資格の審査がOKとなった知らせがあった。嬉しいことが重なって心が弾むはずが、「さて、これからどうするの?」という自問自答に考え込んでしまった。新しいステージに立とうとすると心配事が先に立つ。これからやるべき事、準備することも沢山ある。困ったものである。
 これからの長い老後を元気でいきいきと過ごしていくためには、常にやるべき事、打ち込むべきものがないといけないと考えているが、しっかりした計画と方針が明確でないといけないなと反省をした次第である。正月の三が日に飲み食いした疲れが少し胃に出てきてやや体調を崩したところだったが、まずは健康第一にしないと何も始まらないなと感じた一日だった。

初春や 我が家に響く 孫の声
来て嬉し 帰って安堵の 孫正月
 


 2012.12.5

  師走になると、忙しい中にもどこかピリリとした空気が流れて「ああ今年もあと何日か・・・」という思いとともに一年の締  めくくりをしないとという気分になってくる。明日は業界共通の試験日で今日は休暇をもらって最後のチェックをと言うとこ  ろであるが、実はまだ不安なところが多く、テキストを読み込んでしっかり理解をすべきところも多く残っている。
  今の仕事は退職後の人生のセカンドステージ!現役の時には試験だから休暇をとるということもはばかられたが、ライ ンにいない今はその点ありがたい。現役時代にできなかった勉強にもこうした試験を受けながら自分が納得いく形で挑  戦できる。
  職場の若い人たちと一緒に同じ目標へ向けて頑張れるのも幸せなことだな・・・と思いながらゆっくりした時間の中でテ キストを読みながら、時々疲れて窓から見える坪井川遊水公園の景色を見渡す。外にもゆっくりとした時間が流れている ことを感じられることが何だかほっとして嬉しい気分になった。

     見渡せば 師走の時間(風)が 窓の外


 2012.10.30

  すっかり、秋らしくなり久し振りに、九州を横断して里帰り。あの暑い夏はどこへ行ったのかと思うほど故郷は静かでのどかな時間が流れていた。米寿が近くなった母が一人で留守番をしているが、実家に帰るといろいろと用事が多いものである。しかし今回は、さぞかし庭の草木も伸びて手入れが必要だろうと思って帰ってみれば、シルバー人材センターに頼んでスッキリとして意外だった。
 母の注文に応じて買い物に出かけて、当面の必需品を買い込んだ。買ってきた蛍光灯を取り替えたり、畑を耕して母の楽しみの野菜作りの応援をしたが、庭の隅の草藪を切り開いて小さな畑をつくり、タマネギの苗を植えて母に見せると、「そこらに植えておいてくれれば良かったのに」とたいそう喜んでくれた。




 2012.7.3  念願のスカイツリー

  建設中から関心を持って見てきたが、完成後も雨に煙るスカイツリーは見上げたことがある。羽田空港を飛び立つと きに遠く地平線上にすらりとその姿をみたことは一度あった。
  今回の上京は梅雨の最中で出発の時も雨模様。千葉の義母のご機嫌うかがいに顔を出し、その翌日にしっかり時間 をとって目的地の押上に向けて出発した。雨はあがった、北総線の電車の中からもスカイツリーの全貌が見えた。
  駅を降りると、すぐにビルの谷間から天に向けてそびえ立つ目的の「スカイツリー」を見つけた。駅から「そらまち」へ  進むと運河をはさんでスカイツリーが大きな存在感で全貌を現した。「すごいな!」という感動とともに見上げた先に展  望台からさらに上に伸びた鉄塔が天に突き上げていた。カメラは幸い広角レンズでうまくフレームに収まり、何枚も写真 を撮り続けた。「そらまち」の中も歩き、周辺を散策しながら天草方面へ向かった。梅雨の間のつかの間の晴れ空で貴重な楽しい時間を過ごすことができた。
   


2012.2.13  由布岳の雪化粧

 中学時代の同級会から一夜明けて、帰りの高速道から別府湾を過ぎてまずロープウエイのある鶴見岳が近づいてきたと思う間もなく、大分自動車道に入ると雪化粧をした由布岳が顔を出し、正面に現れた。「豊後富士」と言われるだけあってその雄大な姿がどんどんと間近に迫る。頂上から山の中腹にかけてすっぽりと雪に覆われて、この時期ならではの存在感を示しながら横たわっていた。
 これは是非写真に収めたいと思い、サービスエリアに車を止めてシャッターを切った。近くの山では地獄温泉でも有るのか湯煙が上がっていた。少し寒さも和らいで風もなかったので何枚かの写真を撮ることができた。
 季節ごとの趣を添えながら自然はたたずみ、我々はそれを一枚の絵として切り取って思い出とする。同級生達の元気な顔が思い出され、来年の今頃はバスの窓からみんなと一緒にこの景色を見ることになるかも知れないと思った。

   冠雪の 鶴見・由布岳 堂々と 
            遠くに湯煙 春はまだかな




 2012.1.6 新しい年を迎えて・・・

 今年の元旦は初孫が我が家にやってきた。もう3ヶ月を過ぎ、首もすわりかけていてあやすとニコリと笑う。  これからの成長が楽しみである。息子夫婦にとってはこれからが大変だなと思いつつ、子育ての歴史を振り返ってみたがあまり多くを思い出せない。抱っこして写真に収まったが、抱っこがあまり上手くなく、家族に笑われてしまった。何にしても新たな希望の光の中で新年がスタートした。

  おどおどと 初孫抱いて 初笑い       ぎこちなや 初孫抱いた お正月



 2011.10.1 気がつけば秋の風・・・・

 3.11の東日本の大震災があり、熱中症がこれまでになく猛威を振るい、そしてノロノロ台風の被害も甚大であった。まだこれから色んな事がありそうだが、ようやく涼しい風が吹き始めた。澄んだ青い空に浮かぶ白い雲の切れ端もほっと心を癒してくれる。
 今日から10月だが、すでに多くの行事が私の手帳を埋め尽くしている。ありがたいことに仕事をしていると、思いもつかない人からも声をかけて頂き、まだまだ現役並みにいきいきとしていられる。人の付き合いの大切さを感じることが多い。
 スポーツの秋、芸術の秋、読書の秋ではあるが、私にとってはチャレンジの秋でもある。長年にわたり心に秘めた取組が身を結ぶかどうか・・・・最近感じることは、色んな事が重なって思うように時間管理ができていないけれど、歯を食いしばってひたむきに努力を継続していると、どこか心地良さを感じることがある。ワンステップ上がったのかなと思うことがある。逃げないで、あきらめないで一歩前へ踏み出すことができるといつか山頂の立つことができるとと言うことなのか。
 これは、今年の自然の猛威を社会全体が肌で感じ、日本人の誰もが、大きな力に気づいて自然と向き合うスタンスを変えざるを得ないという流れにも関係しているのかも知れない。猛暑の夏があったからこそ、今涼しい秋の風に感謝できるのだろうと思う。

     気がつけば いろいろ在りし 秋の風     逃げないで あきらめないで 山登る
 
 


2011.9.19 初孫誕生で・・・・

 うれしい初孫の誕生でにわかに忙しい毎日となったが、病院に駆けつけて息子夫婦のサポートをと思いつつも結局、遠くからあれこれと考えては見守ることが多かったような気がしている。一昨日母子共に健康で病院を退院し、赤ちゃんを抱えた息子の笑顔が印象的だった。昔の自分に重ねて、いろいろと過ぎし日々を思い出した。
 孫が生まれてほっとした反面、少し気が抜けた感じもする。もっと何か手伝いができるのではと思っていたが、嫁さんの実家に送り届けて、向こうのご両親に「よろしくお願いします」と挨拶をして当面の仕事は一応終わった。
 孫が生まれても何故かまだ実感がない。これから成長していく中でおじいちゃんとしてどう関わっていくのか戸惑っている自分がいる。どうも不思議な感覚である。 

2011.8.15  六十六回目の終戦記念日

 今年も暑い夏が続いている。熱中症で救急車で運ばれる人も昨年をはるかに上回るという。テレビのニュースでは故郷からのUターンラッシュも始まっているが、東北の大震災があって、昨年とは違ったお盆だったという声が聞かれた。
第六十六回の終戦記念日に今年の思いは確かに特別である。
 福島の原発事故で今、日本に大きな試練が 与えられている気がする。今年の2月に我々は中学時代の同級会を長崎で行い、原爆記念館を見学した。原爆の悲惨な歴史的事実を目の当たりにした。そして平和の像の前で記念写真をとり、ボランティアの人から原爆投下の長崎の状況の話しに真剣に耳を傾けた。その一ヶ月後に東北が巨大地震に見舞われた。そして放射能の問題がクロースアップされた。
 今年、長崎に行ったことから何だか不思議な糸で繋がれた出来事のように感じている。そして節電の夏を迎えた。
 旧約聖書に出てくる「バベルの塔」を思い出す。人類の奢りに天が制裁を与えたか・・・・古代における技術革新について議論する説がある。人間の技術の限界について語る意味があるとする考えが頭をよぎる。人類は文明と技術革新におぼれ、自然をあまりにも無視してきてしまったのではないだろうか。




2011.6.27  短針王国への歩み  丹心とは赤心、赤ちゃんの心・・・純粋な「まごころ」の意味をもつ。

 セカンドライフを楽しみながら、これからはゆっくりとした歩みで人生を見つめ直すことが必要である。現役時代は「時計の長針」の動きのごとく、時間を追いかけながら生きてきたが、これからはわが人生に感謝しつつ、常に人生のまごころ(丹心)を求め、スローライフの中で人生勉強に取り組みたい。やることはいろいろあるが縛りはない!今までとは違って時間はたっぷりと用意されている。我が王国の気儘な王様の自由な世界である。そこで単身王国は「丹心」へと変化し、セカンドライフの自由な時間は「時計の短針」 のようにスローな時間の時間の流れをじっくりとかみしめてみたい!これからはゆとりあるセカンドライフとスローライフを楽しんで新たな「短針王国」の中で生きてみたいと考えている。 






2011.3.18  ある絵画との出会い!

 天草の本渡市に「アレグリアリゾート」というおしゃれな ホテルがある。晴れていれば、対岸に遠く島原半島の普賢岳が見え、地中海を思わせる岬のホテルはポルトガル風の感じの良いホテルで、仕事で天草に出かけた時は私が好んで止まるホテルである。
 夏には広いデッキで南国ムードの椰子の木をかすめる風に身をゆだね、生ビールを飲んでくつろぐ時間が心地い。冬は本渡の町と広がる入り海を高台から見下ろす広々とした温泉施設で体を休めれば、これまた何とも言えない幸せな気分に浸ることが出来る。
 
 そして、このホテルのあちこちでフランスの画家・ポールギアマンの絵に出会えるのが嬉しい。2回目に泊まった時に、「この絵は誰の絵ですか?」とホテルのカウンターにいた女性に聞くと「オーナーが絵が好きで、飾っています」と回答があり、そこで始めて「ポールギアマンの絵です」と教えてもらった。理由はないが色の構成や赤を基調としたインパクトが印象的で心に残っている。このホテルを訪れるとこれらのギアマンの絵が仕事の疲れを取ってくれるような気がするから不思議である。赤も良いけど右上の青い絵もなかなかいいですね。

 2011.1.1  謹賀新年

 セカンドライフに突入して3年が過ぎようとしている。今年のお正月は我が家でのんびりとくつろぐこととしたので、一年間の過ごし方をこの三が日でじっくりと考えてみようと思っている。セカンドライフといってもバラ色の世界が待っているわけではない。やはり人生常に自らの足で一歩前に進むことが求められる。「人は何のために生かされているのか?」という思いがあり、自分に何が出来るのか?これまで頑張って来れた感謝の思いをどう反映させることができるのか・・・・?ということがいつも頭の片隅にある。
 毎年新たな決意をしてスタートするが、気合いだけではダメだと思ようになった。具体的にどう自分に課題を設けるかと言うことになる。今年こそはこれまでチャレンジしてきた資格を取ることと、ゴルフは100と言わず、90を切るという決意でやりたいと思う。100で良しとしているからダメなんだと言うことがわかってきた。そして、時間がないからダメだということもダメだと思う。詰まるところこれは言い訳を自分自身がやっているということがわかってきた。これまでの経験から、「忙しい中でこそ目標がクリアできるのだ」という考え方こそが必要なのだと新年にあたって感じている。
 

2010.12.26 年の瀬に思う・・・

 今年もあとわずか!むかしほど年の瀬であわただしく・・・ということがなくなった気がする。以前はこの時期はもうすぐお正月だというムードが街にあふれていたが、景気が今一つというせいもあるかも知れない。しかし時代が違うのか?何だか充実感やウキウキ感が薄なってきている事もあるようだ。お正月そのものを楽しみにするという文化が遠のいたようにも感じる。
 だが、新しい年を迎えるに当たっては、家の中の掃除をしたり、来年のカレンダーを準備したり、新しい日記を買い込んだりして不思議と体の何処かで、日々の生活習慣の中で着実に動き出している。年賀状の準備もピークに達している。一年間の反省をしてまた気分一新でスタートできるからお正月意味があるのだろう。
 最近思うことは、人生一環して常に勉強!・・・・生涯を通じて、前へ前へと歩き続けることが大事なと感じるこの頃である。時間を大切にする気持ちも根付いてきた。いろんな本も読みたい。いつまでも新鮮に物事を感じるハートを持ち続けたいものである。


 2010.8.1 富士登山を振り返って・・・・

 いつかは一度登ってみたいという富士山に仲間たちの連帯感が実現に導いてくれた。3年ほど前から「退職記念に富士さんに登って見たいね!」と集まるたびに話題にしてきたことが実を結んだ。東京の仲間がそのことを覚えていてくれて、今年の2月の飛騨高山の集いで、次は富士山で会おう!という事になった。この指とまれ方式で東京の仲間たちが提案して、7月23日という日を決定してくれた。
 日頃から通勤で毎日2キロを越える行程を極力歩くこととし、5月の連休では毎日近くの立田山に登って山歩きの感覚を身につけた。7月に入ってから実際にリュックを背負い、本番と同じ服装で2回、山を歩いてチェックをしたのが良かったのかも知れないが、還暦を過ぎてまさか日本一の富士に登れたことは今でも夢のようである。一緒に登った5人はそれぞれに達成感を味わい、充実した時間を共有できたことを喜んでいる。
 下山して5合目の出発地点で、少し先を歩いていた4人が待っていてくれて拍手を受けたときは、つい両手を上げて万歳をしてしまった。そのあと5合目のレストランで、みんなでかき氷をほおばったが、疲れを忘れて楽しく会話が弾んだのももうすでに思い出の一ページになろうとしている。


2010.4.4

 昨年末のテレビドラマ「坂の上の雲」が話題になって、昔、読んだ司馬遼太郎の文庫本を引っ張り出して今読み直しをしているが、20代の時に読んだ文庫本を再び読むと、テレビで画像として見たせいもあるが、司馬遼太郎の時代考察、人物評価などを交えこんなにも面白いのかと新たな感動が湧いてくる。以前に読んだ時とは比較にならないほど秋山兄弟の人物像も良く伝わってくる。正岡子規への好感度も増した。20代のまだ大学を出て間もない頃の自分がいかに簡単にこの本を読み流していたのかが良くわかった。これまで読んだ本も時間があれば読み直してみたいという衝動に駆られている。
 しかし、困ったことがひとつ。昔の本だから紙質が悪かったのか、色が変色して読みにくい。印刷の活字も今のものは見やすいように配慮されている。今年の年末にこの「坂の上の雲」が続いてテレビで放映されるので、またそれも楽しみである。さらに感動が増幅されるのは間違いない。
 それにしても明治は凄いエネルギーに満ちた時代だったと思う。いろんな人材があらゆる分野で活躍して近代日本を創り上げてきた事が良くわかる。今の時代を考えると、自分の生き様を含めて反省しきりである。



 2010.3.22
 春一番というよりミニ台風の感がある嵐が日本列島を駆けめぐったが、三連休の最後の今日は穏やかな一日となった。土曜日に臼杵で退職祝いがあり、その翌日、久し振りに妹夫婦のご機嫌を伺ったあと、故郷に帰って来てお世話になった人にも会うことが出来た。
 最終日の今日は山の上にある我が家の旧いお墓の掃除を母と行った。この墓は戦国時代あたりのものらしいが、祖父が大事にしていたお墓で久し振りに出かけてみたが、春のお彼岸にお参りできたことは、この三日間の締めくくりとして有意義な時間となった。
 午後、熊本へ出発。道は混んでいて4時間かかって熊本に着いた。何故か疲れはなく、日が長くなった近くの遊水公園の土手を歩いて春の風を思い切り吸い込んだ。

 2010.2.17         
                                 
  あの高度成長時代の真っ直中で、志を立てて同じ職場に身を投じ、向上心をもった集団が名古屋の鳴海に集まった。その若者たちは一年間の研修を終え、東京、神奈川、山梨、静岡、三重、愛知、岐阜などの新たな職場に旅立ってから30数年。もう過半数は退職をし、還暦を超えた。その仲間たちがあの一年間の寄宿舎生活での青春の思い出を胸に、いまだに定期な会合を開き、近況報告を重ねている。嬉しい限りである。前回は九州で仲間を迎えた。そして今度は東海のメンバーの企画で高山の旅となった。次は山梨でやることとなった。その前に後に続いてこの春退職をする仲間を祝う「富士登山」も声が挙がっている。何とも力強い仲間たちである。それだけ、それぞれの職場で各々に厳しい時代を乗り越えてきたからだろう。 
 

 高山の会合はこれまでの集まりとはまた一つ違った味があった。われわれの仲間が生まれ育った土地を訪れて新たな一面をかいま見ることもある。時間がたったから味わう人間としての側面も見えてくる。われわれのこの仲間は、進化しているのではないかと思う事がある。単に過去を振り返り懐かしむだけでなく、会うたびにそれぞれの個性に磨きがかかっている。だから面白い!楽しい!と思うのだろう。        

    団塊と 言われてここまで 来た絆    還暦を 過ぎて元気が 先を行く
    集まれば 宴会部長が 復活し      今を知り 昔の友に 思い馳せ
    また来年! 満足顔が 両手振る    進化した 個性がまぶしい 同期生 
    団塊が 切磋琢磨で プラチナに     いい仲間! 昔と同じ 笑顔かな!
 

 2009.12.17

 今年もあと半月を切った。今年は息子が結婚をして我が家にも大きな環境の変化が訪れた。第二仕事は2年目でペースがつかめてきた。しかし、バラ色のセカンドライフは期待した図式どおりには行かない。やりたいことは沢山あるが、現役時代のように仕事を中心した生活パターンとなってしまっている。時々人生とは何だろうか?と考えてしまう。自分は何のために生きてきたのかわからなくなることがある。それでも納得をして生きてきたと問い直す。気がついたことは、自分自身が何も成長していないのではという事である。年金が出るまでは働かないといけないと言う現代社会の荒波にもまれて、波間を漂う小舟みたいなものではないのか!
 政権交代しても景気が冷え込んで、何故かお正月を祝うというような気分になれないのは私だけだろうか!胸の奥底に何か重たいものがどーんと腰を据えている。何も困っていることは無いはずなのに心が晴れないのは何故なのか・・・・・しかし、まもなくクリスマス!そしてお正月。

  子が育ち 何か足りない 年の暮れ     気がつけば 我が家もデフレ スパイラル 
  期待ほど 盛り上がらざり 退職後      健康が あるから良いよ 妻笑う
  不景気が 贅沢は敵と ぼやいてる     正月が 迎えられるなら まあ良いか!

2009.11.7

 最近は嬉しいことが続く。今日はプロ野球の日本シリーズで巨人久し振りの日本一となった。大分から帰ってきてテレビで観戦。双方とも全力を出し尽くしての戦いで大きな感動を与えてくれた。野球と言えば海の向こうでは、松井がワールドシリーズで6打点の大活躍でヤンキースを優勝に導いた。ゴルフでは石川遼があの若さで賞金王争い。今日のニュースではまたスコアを上げて明日は優勝争いに食い込んで来そうである。そして今日は息子夫婦と一緒に里帰りでと良い一日となった。一人で留守番をしている母親の笑顔が嬉しかった。

 頑張れば その分だけの 笑いあり        親と子の 絆深める 秋の旅 
 スポーツの 感動我が身に 置き換えて     孫が来て 母喜んで 昼ご飯
 頂点に 立ちて謙虚に お立ち台         墓参り 親に学んで 子に伝え
  

 2009.10.20

 一年かけて取り組んできたことが、また新たなチャレンジのスタートとなった。楽しい仲間たちと気分転換の時間を過ごしながら、やはり人生はいろんな意味で良い仲間が必要だなと考えさせられた。趣味の友と共通の話をするのも楽しいが、日々のいろんな場面でのかかわりの中で自分を成長させてくれる存在、新たな課題を与えてくれる人たち、意見の衝突や感情の食い違いからストレスを感じる局面もあるが、そこには常に「人」の存在がある。結局人生はいくつ年を重ねても「人とのかかわり」であり、人間性の上に信頼を築き、気遣いや励ましの言葉が交わせる仲間はありがたい。成長のためには良い意味で競い合う事が出来る存在も大切なものである。

   人がいて 人が支える 人の道     信頼は 言葉を包んで 見守る目
   頑張れる 気持ちの力 人と人      振り返る 過去から未来へ 仲間の輪
  


2009.8.12
 息子が結婚して、近くにアパートを借りて 住むこととなり、私が息子の部屋に移って寝起きしている。おかげで夜遅くまで、テレビを見たり、本を読んだり好き気ままに生活できて快適である。特に海外でのゴルフのテレビ放送を誰に遠慮することなく見れるのは嬉しい。石川遼や宮里藍の活躍は素晴らしかったが、プレイヤーの心の動きを映像から読みとることが出来る気がする。見ることで勉強になることをつくづく感じて、自分のプレーにもいかせるようになった気がする。最近100が切れるようになった。

 2009.4.13

 ちょうど昨年の今頃、退職したあとの第二の職場で初仕事として水俣へ出張したが、奇しくも一周年を迎える今日、昨年訪問した水俣の同じ事業所に出かけることとなった。新任部長の挨拶をかねて私が案内をすることとなった。高速道路でまず人吉へ向けて南へ・・・・この道は15年ほど前に単身赴任で宮崎のある町に向かった道であり、また福岡に赴任して2年目が過ぎた平成15年に霧島山麓の町に赴いた時の思い出がよみがえってきた。八代インターを過ぎると、あの23個のトンネルをくぐり抜ける。ずいぶんと時間が経過したものだなとつい感慨にふけってしまった。人吉で用事を済ませたあと、球磨川沿いを下り、一勝地を過ぎて芦北へ抜けた。
 今はカーナビがあるから便利である。水俣に着いたときには3時を回っていたが、部長の朋友が勤めているというその会社を出たのは4時過ぎだった。最近、田浦から八代に向けて高速道路が走っているので帰りは早かった。おかげで私も人吉や水俣の友人とも久し振りに会うことが出来た。新しい部長とも十分にコミを図ることが出来たのは思わぬ成果だった。

   高速道 昔も今も 同じ道
   夢が舞う 思い出乗せて 高速道
   時を越え 単身ロードは 春霞


2009.3.11

 どこの会社も、年度末は決算やら営業目標の達成やらで忙しい時期である。私が 今勤務している会社も今日は節目の会議と情報交換会があった。頑張っている社員には推奨状の伝達があった。頑張った人が報われるのは当たり前だが、頑張りきれない人たちをどう底上げするかは経営側からすると頭の痛い問題かつ重要な課題でもある。
 そんな会議のあとの情報交換会で多くの人と話が出来た。人間関係がすべての基本で多くの人と知り合えることが大きな財産となる。その意味では今日の会議は私にとっても大きな成果であった。
 月明かりの中を酔いをさましながら歩いて帰った。気候も良くなり夜風が心地よい。自分自身の仕事の区切りもうまく出来、今日の会議も有意義であった。

  ほろ酔いの 夜道を照らす 望月の
             やさしく光る 白木蓮かな


 2009.2.1

 2月になった。私の誕生月であるが、その前にペットのフクちゃんが我が家に来て10か月が過ぎて本日で満1才の誕生日を迎えた。やんちゃぶりは相変わらずであるが、今日は天気も良かったので、近くの公園で散歩したあとに一緒に風呂に入ってきれいにシャンプーをした。妻とお祝いのケーキを買ってきて満1才の誕生日をいわった。

   ペット犬  ケーキで祝う 誕生日
       孫はまだ 子犬で癒しの 老夫婦

 2009.1.4団塊からプラチナ世代へ

 新しい年がスタートした。還暦で迎える新春。際だって変わったことなないが、穏やかなお正月を迎えることが出来た。今年の課題はセカンドライフへの基盤づくりだろう。これからの10年間計画である。世に多くの団塊の世代の人々が第二の人生のスタートを切り、これからの超高齢化社会の主人公となる。どう生きるかが課題である。
 この正月に「プラチナ世代」という言葉に出会った。良い響きである。団塊からもう一歩進めて更に普遍的なくくりである事が良い。単なる元気な固まりから、社会に何らかの貢献が出来る経験豊かな世代へと進化して、老後における個性的な生き方を求めてみたい。若々しいセカンドライフのための努力と勉強も必要だろう。この「プラチナ世代」という響きに共感出来る人が地域に置いても大いに活躍する時代になってくるだろう。そんな気がして爽やかな気分なれた。

     為せば成る プラチナ世代の 夢求め              還暦の春の 誓い新たに

2008.11.20祝 一万人訪問!  

 ホームページのカウントメモリーが5桁になった。つまり1万人の訪問を達成したことになる。
 単身赴任先の話題やペットや花の画像と 思いつきの川柳で地味なHPではあるが6年の歳月が過ぎてようやく、大台にのった。振り返ると作成当時は仕事にも思いっきりのめり込んでいた時代で、作成当時の思いや赴任先の様子などが画像や川柳でよみがえって来る。懐かしい思い出も沢山できた。多くの人々との交流も図れた。
 気がつけばセカンドライフの人となって、健康が気になる毎日でもある。
 仕事を終えて自宅のパソコンを開くと、なんと10000ぴったりのカウントメモリーが表示されていた。今年中には5桁にと思っていたが、少し早い達成となり嬉しい記念日となった。

    大台の 節目を築く マイページ       人生の 機微を重ねて 5.7.5   
    単身の 思い出刻んで 一万回       寂しさを 紛らしネットで 支えられ  
    下手なりに 5.7.5も 数を打ち      数打てば たまには良い句も 顔を出し
    人生の 喜怒哀楽の 歴史あり       還暦の 節目に嬉しい 記念の日 
    大台に 家族は「あらそう?」 無関心   我が家でも 「単身王国」 まだ続く?
    

 2008.10.13

 窓からリンリンとかすかに虫の声。夜10時をとっくに過ぎて、確か今日は十五夜ではなかったか?と窓から夜空を見上げると天空にはうっすらと雲がかかり流れる雲の間から小さくなった満月を中心にわずかに周囲に光を放っていた。
秋の夜長はゆっくりと時間が流れ、静かにものを考えるには一番良い季節で小さい頃から私の好きな季節であった。
 今日は部屋の掃除をして気分もスッキリしたことも手伝って久し振りに落ち着いた時間を過ごしながら、あれこれと感慨にふけった。退職したとは言え、まだやりたいことは沢山ある。本当の人生はこれからだが、果たしてこれからの10年をどう過ごすかと言うことが大きな課題である。
 先日のOB会で多くの先輩たちが特に仕事はしていなくても時間が足らないとこぼしていた。それは私もそう思う。特に現職に引き続き仕事を続けているとやりたいことがすべて中途半端となる。退職してからも時間管理には苦労をしている。相変わらす時間の使い方が下手だと言うことでもある。このまま今の仕事を続けていいのかな?と疑問を感じることもある。セカンドライフの生活のあり方をもっとしっかり考えないといけないと感じている。

   定年で 持たなきゃいかん 設計書      老いてこそ 味わい深き 仕事なせ
   気がつけば 第二の仕事に 埋没し      伝えたい 夢と努力の 人の道  
   日々楽し それでいのか 人生は


2008.7.21
 夏なのに、少し肥って体が重い感じがある。メタボ予備軍でもある。体重が増えると足や膝を痛めることが多い。先日の法事の時も正座をしてお経を一緒に読み上げていたが焼香で立ち上がるときに大変だった。また、終わった翌日も今度は膝が異常を訴えた。ムリが出来ないことを痛感。少し体重を落とすと楽になるのだが、これがなかなかですね。

 メタボだと 子らに言われて 腹筋し
 我慢して 正座のあとの 見苦しさ
 ダイエット 食事が進む 夏の午後
 


 2008.7.12

 3月末で退職して熊本に戻り、長年の単身赴任が自動的に解消した。ちょうど運良く第二の仕事が見つかり引き続きサラリーマンとしての生活だが、気分的に肩の荷も降りてゆとりの毎日である。家族と共に感謝の日々を送っている。新しい仕事についてすでに3ヶ月が過ぎてすべて順調だが、体の調子が今一つ。ながい職業人生の影響からかあちこちにガタが来ているようだ。足腰、肩背中が痛かったり、気が抜けたせいかどうも疲れやすくなった。健康の大切さを痛感している。

 「退職の朝 有明(三日月)のしらじらと まだ覚めやらぬ 夢の続きを」と歌を詠んで見たが、少しゆっくりしすぎた感もある。ぼつぼつ夢の続きに着手したいものである。

  こんなにも 良いものだとは セカンドライフ
  我が家から 定時に出勤 定時に退社
  肩の荷を おろしてわかる 荷の重さ


2008.3.10

 城下町中津のひなまつりも終わった。3月が終わると私も退職である。東京から九州に帰ってきてはや20年が過ぎて九州の中をあちこちと良くも転勤してきたものだと思う。いろんな町を見てきたが、結構、地域の皆さんとも仲良く交流が出来た。まちづくりにもいろんな形で関わってきた。指折り数えて退職の日へ向けカウントダウンの日々であるが、何だか寂しい気もする一方で、セカンドライフへの期待も大きい。これからの10年が人生の真価を問われる大事な時間である。やりたいことは山ほどあるが、まだ絞り込めていない。悔いのない充実したものにしたいものである。

  退職の 二文字が重い 弥生空      四月から 毎日日曜 どうしよう        夢数え 思いで数えて ひなの月
  還暦の 仲間が集う 宇佐神宮      まちづくり セカンドライフで 夢を見る    恐ろしや 地域デビューの 日が近い

2008.1.31

 中津の城下町の雛祭りはなかなかいいイベントになってきた。私も今年で3回目を迎える。退職前の最後の思いを燃やすイベントでもある。これまで仕事を通じて地域の架け橋となるべく企画をし、我が事業もその中で生かしながら広がりを創ってきた。地域が元気になれば我々も活気が出てくる。相乗効果である。みんながもっと燃えれば良いと思うことががある。地元の人がもっと意欲的にやってほしいと思うことがある。しかし、最近思うことは自分が燃えればそれで良いのだ。本当に良いものは自然に燃え上がってくるのだから心配はない・・・・そう思うようになった。
2007.10.9

 10.1の大きなイベントが終わり、新しい仕事のスタイルで一週間が経過した。システム障害や予期せぬトラブルを心配したがほぼ問題なくスタート出来た。プライベイトでは、9月23日に中学校時代の45年ぶりの還暦同級会の世話役として一番きつい時期に並行してやってきたが、コレもうまくいきほっとしている。卒業以来はじめて会う仲間もいて楽しい会が運営できた。企画も良かった。次は「シルバー修学旅行」だと言う案も出た。

  君は誰? あなたは誰?と 指を指す    名札見て 変わったなと 額見る    また会おう 次はもいちど 修学旅行 

 この3連休でようやくゆっくりと時間を過ごすことが出来た。3日目の昨日になってやっと体の芯にたまっていた疲れもとれた。


2007.5.6

 このホームページを立ち上げて、はや5年。来年の3月に退職を控えて、ようやく単身赴任の解消か・・・・このHPも「単身王国」ではなくなる日が来ることとなる。団塊の世代の大量退職で、世の中は新たな活気が出てきたようだ。団塊の世代の我々は第二の人生のステージをどう飾って行くのか・・・今まで走り続けてきた足跡を静かに振り返って見たい気もするが、宿命は消えないと考える。みんな新たな方向を見定めて次の走塁を考えて準備をしている。いつまでもあくことなく走り続けるのが「団塊」の世代なのかも知れない。

 もう5年? いやまだ5年 かけだしだ   人生は 走り続けて 価値がある      地域デビュー どんな衣装で 舞台立つ?
 人生は 次があるから バラ色だ      何かやる 辞めても きっと何かやる    健康と 向き合う日々が 老後かな?
 第二とか 第三とかは 気の持ちよう    団塊は 息絶えるまで かたまりだ    年金が 出るまで妻が 背中押す   ご苦労様 そんな一言 聞きたいね
2007.3.18
 中津の城下町の雛まつりが終ったが、日田は今月末までやっている。このところ寒い日が続いたが、今日の日曜日は良い天気に恵まれた。単身赴任の私としては部屋の掃除を簡単にすませ早速洗濯デー!そうだ今日は団塊の世代の集まりが日田で開催される!顔を出すことにして車に乗って出発。日田豆田町の雛イベントはさすがにすごい!人手が中津の倍以上・・・・
 そしてその後、琴平の団塊クラブの会場へ・・・・少し早かったので、川沿いの露天風呂でくつろいだあと、その会合に合流。いやいや本当に楽しい会であった。立花さんという人工透析の人がその病をおして全国の山を5年で征服したとか。すごいことである。また、テナーサックスの懐かしのメロディー「夜霧よ今夜もありがとう」他、思いでの局にみんなうっとり・・・更に県庁の中山さんの落語にはコレまたびっくり。楽しい日曜日を久しぶりに過ごした。それにしても団塊のパワー恐るべしである。個性派の人材バンクだ。

雛めぐり 終えて琴平の 湯が染みる   懐かしき 音色にいつしか リズムとり   60歳 なんの一つの 通過点
団塊の 熱き思いの 酒の宴        3分の スピーチ5分で まだ続け     リタイヤは 第二の人生の  出発点 
熱弁を 聞いて元気な 老後見え     趣を凝らす 幹事に感謝で お開きに   まだ負けぬ 俺が引っ張る 町おこし
自己主張 するのも団塊 世代なり
2006.9.24


 暑い夏が過ぎて、ようやく凌ぎやすい季節となった。「暑さ寒さも・・・」とは良くいったものだ。ところで23日は秋分の日だったが、結婚記念日だった。単身先の宿で天気が良いので朝から洗濯をし、部屋の掃除をして近くの公園へ散歩にでかけた。
 ところで何回目の結婚記念日だったか・・・と思い携帯でメールをしてみた。早速返事が返ってきたが、もうそんなにと思ってしまった。「来年は旅行でも行くか!」と返事を返した。そう言えば随分と夫婦で旅行もしていない。団塊の世代・・・・働きづめだったなと振り返り、昔は良かったなと子供の小さいときのことを思い出す。もう少し健康で頑張らないとね

 膝いため 肥りすぎだと 子らが言う
 心配ねと 何故か笑って 妻が言う
2006 4.14

 ようやく、あったかな春がやってきたと思ったら、全国で雨が降り続き、今日は肌寒い一日だった。今度の日曜日に大きな仕事を抱え込んでしまった。今週末はゆっくりと花見でもと思ったら、それどころではなくなった。今日は準備で眠れないかも・・・気分転換に久しぶりにパソコンに向かったら、日記を書き込んでみようかと言う気分になった。仕事の疲れからか先月にのど風邪にやられて、未だに咳が止まらない。日曜日のイベントでは咳が出ないようにしゃべるのは至難の業である。早くのどが治ってくれるように祈るしかない。それにしても桜はもうもたないだろう。無情の雨は人の気の知らないでいい気なものだ。

  雨よ雨 どうせ降るなら 咳(堰)流せ


2006.2.20

 随分久しぶりに、このページに巻き込む。単身赴任もついに退職まで解消できそうもない。中津にきて7か月が過ぎた。最近は以前に比べて根気がなくなったとつくづく感じる。以前は仕事で追われてもパソコンの前に必ず座っていたが最近は何日も座らないことがある。
 最近、寒さも和らぎ少しまたムリがきくようになった。昨日はかなり長い時間歩いても体調が良く気分の良かった。人間ドックでは特に大きな問題はなかったので少しづつ体力がつくような運動もしていこうと考えている。

    五十路坂 春の陽射しに 気力増し
2004.8.1                                                                              
 例年になく暑いと感じる夏である。暑さが体に応えるようになった。体の温度調整機能が少し低下したのかもしれないなと思いつつ、水分を補給に心がけながら、この宮崎で二年目の夏を迎えている。福岡から宮崎へ転勤して一年しか経っていないが、福岡時代がもう遠い昔の事のように感じてしまう。いろんな事がありすぎるからだろうか?
 台風のせいで宮崎から動けず赴任地でゆっくりのんびりの週末だが、静かな時間が流れていろいろと考えを整理できて良かったと思っている。洗濯もした、朝食も自分でつっくて食べた。庭草木に水をやり、自分勝手にコーヒータイム、部屋の中で見もしないテレビがニュースを伝えている。今日から8月だなとカレンダーを見てちらっと仕事の事が気になったが今日はゆっくりしょうと自分に言い聞かせた。

  風通し 思いのままに ブレイクし
  一年の 月日の重みか 古新聞
  整理した 部屋で久々 日記付け
 
2004.5.10
 夜も更けたが、パソコンに向かって時間を過ごすことがストレス解消法の一つである。ホームページを作成して2年がたった。おかげでいろんな人達と交流ができた。勉強にもなった。17文字にどんな思いを入れるか。感じたことや気にかかることをどう表現すれば良いか・・ちょとした頭の体操でもある。最近ではこれはぼけ防止に良い!!と勝手に思いこみ一人で感心している。

  川柳は 頭の体操 ぼけ防止
  サラリーマン ぼやいて愚痴って 5.7.5
  二周年 単身気ままな 通過点

2004.2.25
 熊本で1泊2日の会議があり、今期の総括と来年度の方針が示された。気合いの入った会議だったが、時代の流れの速さに驚く、スピードと成果が求められる。これをどう自分の職場に浸透させるかが大変である。
   会議終え 鞄と気持ちの 重さかな        正直に 成果を示す 数字かな
   行きは良し 帰りは宿題 課題増え        コスト下げ 成果を上げた 腕自慢
   頑張ろう いつまで続くか この緊張        競い合う 心が高まる ベストテン 
 
2004.1.18
 今年は小林で新年を迎えた。楽しみにしていた年賀状の抽選会の当選番号をチェックしたら、切手シートが11枚当たった。一等の早い旅行は夢に終わった。最も当たっても行く暇がない。年賀状で一句。

   年賀状 当たり葉書に 頭下げ   
   少しひねって・・・・「抽選日 当たり葉書を 子に取られ」 こんなご家庭もあるかも知れませんね!
 2003.12.23

 いよいよ今年もあとわずか。単身赴任6年目の師走もまもなく暮れようとしている。小林の土地柄にも慣れ、地域の人達とも交流が図れた。いろんな会社の単身赴任の人達のグループ・「こばチョン会」なるものに入った。楽しい仲間たちである。また、霧島の綺麗な山々に接し、自然とのふれあいも楽しい。ただ、慣れたとは言え、家族と分かれて生活していくのは大変なことである。みんな自分の人生を一生懸命に生きている。自分で自分を励ましてまもなく新しい年がやって来る。どんな年になることやら・・・

  
 懸命に 生きて今年も 暮れ近し
   こばチョン会 意気投合の 酒うまし
   自らを  励まし続けて 6年目
2003.11.4
 7月に福岡からずーと南に下って、宮崎の小林に赴任。早いものでもう11月となった。観光スッポットも多く、天にそびえる霧島の山々に心を洗われる思いである。特に雨上がりの雲が引いていく時の山の姿は神々しい。水もうまい。転勤が決まった頃の気持ちを振り返ってみた。時間が経つと、少し余裕を持って考えることができるようだ。

   単身を 心に決めて 早や6年
  転勤で 北から南へ 大移動
  異動の日 高速入口 取り違え
  苦労した 分だけ心に ゆとり出来
  忍耐の 二文字の意味が わかりかけ

2003.5.3
; 連休も後半戦に入った。昨日は、母親を連れて宇佐神宮へ出かけた。本殿の公開ということで親孝行のまねごとでの急な企画である。
  祖母が宇佐神宮に良くお参りをして和歌を詠んでいたことを思い出した。                                      

    「 善し悪しの その中道を 踏み分けて ただ真心の 一筋を行く 」 という子供の頃に聞いた和歌が頭をよぎった。

  私はもう何度となくこの神宮を訪れているが、最初はたぶん小学校の低学年のころ、父と一緒に職場の人達と花見できた覚えがある。その後は母と地域の子供会か何かだったろう。妻とも結婚前に立ち寄った事をついこの前のように思い出す。東京からの友達も何度か案内した。六郷満山の密教文化はこの宇佐神宮を中心にして花開いた。                                        
 良い天気に恵まれ、境内にしきつめられた砂利を踏みしめて本殿前まで登って行ったが、息が切れた。何度も後ろを振り向きながら、母が登ってくるのを待った。ゆっくりとした時間の流れに中で、本殿に生まれて初めて足を踏み入れた。                      
 応神天皇の第一の社に続いて第二、第三と三つの社と御神輿が公開されていた。                               

   
息が切れ 日陰を選んで 歩く母 なつかしや 父、母、祖父母と 来た神社 甘酒は 体にいいと 腰をかけ
気遣って 振り向く我も 息上がり 父いれば  喜んだろうと  母の言う 清麻呂を しのんで柏手 鳴り響く
こんなにも 多かりしかな 石階段 甘酒や  参道横の 店の前   陽を浴びて 鮮やかなりし ツツジかな
         
                  空海や 最澄ゆかりの 風さやか                    
2003.3.23
 現在の我が家の関心事は息子の就職決定で、東京への引越をすめための準備でおおわらわ。週末に帰ってもお父さんそっちのけ。母親も子供も毎日、買い物をして生活に必要なものをあつめている。私も父親として参加したいけれど、入る余地なし。普段家にいないので、これもしかたないかとあきらめムード。せめて家族での最後の食事をと近くのレストランにでかけた。少し寂しくなるけれど、一安心でもある。今日はバス停まで息子の運転で送ってもらった。元気で頑張ってくれればそれで十分である。グッドラック!マイサン!

   いつの日か 思い出話で 今日の日を
  単身で 父親不在を 後悔し
  出発の 日が近くなり 晩餐会
  バス停の 別れも無言で 手で合図
  たくましく なったと親の 欲目かな 


2003.3.2                                                                         
 半月ぶりに、熊本の家族のもとへ帰ったが、最近思うことは、自分がイメージしている家族と少しずつ現実とのギャップを感じるようになった。離れて暮らしているせいか、また、子供たちが成長して話しをする時間が少なくなっているせいなのか。子供たちが成人したことで大きく環境が変わったことも事実である。私の両親もこんな思いをしながら私を見つめていてくれたのかと「はっ」とした。家族の関わり合いも互いの変化を認め合いながら、ぞぞれの人生を生きていくものなもだということを、帰りのバスから外の景色をながめ感じたところである。
気がつけば 家族もそれぞれ 我が道を 気くばりも  子供にとっては おせっかい
日曜日  対話不足で バスに乗る 成長の 証と妻は 気にもせず
しかたなし 子供の自立で 父孤立 子の成長 さびしきことと 妻ポツリ

  職決まり 巣立つ我が子に 我が姿
子が育ち 夫婦二人の 日も近し
年とれば 頼りは夫婦の 絆かな
時が来て 親子の不思議を 想う夜
  


2003.1.1  皆さん! あけましておめでとうございます。今年も気ままに頑張りたいと思います                    。
         初春や 単身解消の 夢を見る      踏みしめて 歩け二度ない 五十路坂                                         
 昨年の暮れの川柳をまとめてみました。                                     
 
年の瀬に  ゆとりが新たな ヒント生む のんびりが 心地よいよと 天の声
勇気だせ メリハリつけて リフレッシュ 休んでも 仕事が気になる 50代
テレビ見て 涙でかすむ 年となり 我が家でも 単身パターンが 身について
まだ感動 できるこころが 残りおり 年の瀬の 人間ドックの ありがたさ
時を越え 苦楽を越えて 悟る道 行きは良い 帰りは怖い ドックかな
2002.10.10
 三連休をゆっくりとすごして・・・と言う人も多い事と思うが、休暇も計画的にすごさないとあっという間に終わってしまう。家族と過ごすといっても子供二人も成人していまい、
  「お父さん いつ帰るのと 聞く我が子」という川柳をよんだこともあったが、最近は「帰っても 見向きもしない 大学生」と言ったところである。
 妻と二人でお茶をのみながら、つい健康の話や老後の話になってしまって、何とも夢のない日を送ることが多い。少し時間とゆとりができてきつつあると思う矢先に二人とも健康が心配な年代に突入である。
 妻の買い物へつき合ったり、ついでにちょっとドライブということで足を伸ばしても産地直送の野菜を買って帰るぐらいのことで、氣がつけば、もう三連休も終わり、仕事の事も気になりながら、夜遅く高速バスで移動。疲れもとれずに福岡に帰ってきた。

   子が育ち ゆとりに水さす 老いの声
   楽しみは 子が育ってからと 辛抱し
   時と金   使うときには  年をとり       なんて少し弱氣になってしまいましたが、頑張りましょう!世のお父さん方。
2002.9.16
 東京への出張が近づき、何かと忙しい毎日が続いている。職場では新しい時代に向けて改革の声が高まっている。人間はなかなか自分を変えられない。時代の変化に乗り切れない人と、大きく舵を切って方向転換ができる人と大きな差がでる。歴史の上でもこれは明白である。昨日の大河ドラマ「利家とまつ」をそんなことを考えながら見入ってしまった。信長、秀吉、利家、家康と戦国の動乱を乗り切った武将たちは時代の変革期にあって、かじ取りを誤らなかった。深い見識と時代を読む力。そしてしっかりした判断力と行動力があった。
 今の時代も同じ事。先が見える人、時代の変化を読める人は少ない。「いかに生きるか・・・」「どこでバランスをとるか」「自分をどう見極めるか」ということだろう。3連休はありがたかったが、明日からの仕事でまた気が重くなる。「さあ!」と気合いを入れて外をみると少し風がでてきて、草木が揺れていた。芙蓉の木に咲いたピンクの花が目に入った。「花はいい」心の栄養である。

    ストレスを 癒して揺れる 芙蓉かな      

 5.7.5になった。芙蓉が季語になるなら俳句かな????
   
2002.8.16
 やっと夏期休暇をとって墓参りを済ませ、久しぶりに田舎の空気を吸って来た。人事異動もようやく終わり仕事の方もこれからとうところだが、この休暇でしっかり充電しておきたいものである。今回の異動をめぐって、いろんな人々の思いを川柳の「人事異動編」をまとめてみました。
  「人事異動編」
 サラリーマン 辞令一つで 新天地  たつ鳥の 鮮やかなりし 軌跡かな
 淡々と 行く人来る人 残る人  単身で 歴史を訪ねて  旅・ロマン
 暑き夏 紙一枚の ドラマかな  思いでを 歩いてつくる 赴任先
 ままならぬ 思いを乗り越え それぞれに  辞令持ち 挨拶回りの はずむ声
 赴任先 思いでづくりの 日々楽し   あれば良し なければ無しで 気をもんで

2002.7.5
 早いもので今年も半年がすぎた。梅雨明けが待ち遠しいこの頃であるが、天気のせいか、気分のせいか川柳がうかばない。というよりか、あまり考えようとしなかったのかもしれない。仕事に、家庭に心配事がないわけではないが、人間、ゆとりを失うと幅が狭くなる。ホームページを更新して気分転換とするか!・・・と思いながら、もう夜中の一時。眠くなってしまった。


      眠くとも   ホームページの  メンテナンス   好きなことは頑張れるが・・
      ふとよぎる  明日の仕事の  報告書
1  職場編 早出勤! ちょっとゆとりで 扇風機 
見てもらう 工夫と努力の 跡を見せ
○○君 君しかいないと 誉める人
変革の 嵐は自分の 外におき
改善を 求める上司 拒む部下
鬼になれ 中間管理の 役職者
あいさつを する人いつも 同じ人
2 生活編 もの忘れ さっき浮かんで もう忘れ
酒によい 疲れを感じる 月曜日
うたた寝で やかん真っ黒 午前二時
元気出せ! あと一日だと 金曜日
3 家庭編 単身で 優しさ戻る 妻の顔
赴任先 重ねていつしか 五十路かな
水打ちて 手入れの届いた 花の庭
4 思い出編 無我夢中 体力気力で 30年
ボート漕ぐ 湖上の家族に なごむ我
5 老後編 酒飲んで 話題は老後の 趣味のこと
毎日が 日曜怖さに 趣味をもつ

Aさんのアドバイスで、単身赴任の一週間を川柳で表現してみました。 

月曜日 酒によい 疲れを感じる 月曜日
火曜日 コミ図り 心が通う(火曜) 赤ちょうちん
水曜日 定退日(水曜日) 仕事も停滞 苦情処理
木曜日 週半ば 休暇もとりたい 木曜日
金曜日 元気出せ あと一日だと 金曜日
土曜日 土曜日は 単身解消 高速道
日曜日 リフレッシュ できずに終える 日曜日

       もう少し、内容のある一週間にしたいものです。反省!      

2002.6.1
 マッフィー岡田の実演販売の「売れる 売れる 売れる」という講演を聞いて、今までにない感動を覚えた。さすがに40年の経験からの話はすごい。そんな余韻に浸りながら、大濠公園の中之島を歩いて帰った。ちょうど日曜日で家族連れがあちこちでボートを漕ぎ、にぎわっていた。我が家もあんな時があった。「なつかしさ」で心が揺れ、今が一番いい時、みんな幸せそのものである。

      ボート漕ぐ 湖上の家族に なごむ我

 そんな思いを旨に抱きながら、少し歩くと閑静な住宅街、単身生活のわが宿の近くに来て、目についた光景にまた一句。

      水打ちて 手入れの届いた 花の庭

 昔は花などに心を移すこともなかったが、さすがに年齢を重ねて、じじ臭くなったものだと感じて一人で苦笑。今日も良い日だった。2002.6.8
 暑い一日だった。花の苗を買ってきて、プランタンに植えた。夕方植木や花の苗に水をやり、少しひんやりとした風が吹いた。

    しずく落ち シダの葉揺れて 夕涼み 「露おちて シダの葉ゆれる 夕涼み」 この方がいいかも。

 少しゆっくりした後、いつも犬の散歩に行っている娘が時間になっても部屋からでてこない。犬はもうその気になってしまっている。

    父帰り 犬の散歩の 当番日      
        結局、娘の代わりに犬をつれて近くの公園を一周してきた。

2002.6.15
  久しぶりに週末ゴルフで汗をかいた。
 
    チップイン 運とツキで 100を切る  梅雨の谷間の晴天に恵まれた週末の一日でした。

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